・・・日月は欺くとも己れを欺くは智者とは云われまい。一刻に一刻を加うれば二刻と殖えるのみじゃ。蜀川十様の錦、花を添えて、いくばくの色をか変ぜん。 八畳の座敷に髯のある人と、髯のない人と、涼しき眼の女が会して、かくのごとく一夜を過した。彼らの一・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・主張の長所を認むるの点において智者である。他意なく人のために尽さんとするの点において善人である。ただ自他の関係を知らず、眼を全局に注ぐ能わざるがため、わが縄張りを設けて、いい加減なところに幅を利かして満足すべきところを、足に任せて天下を横行・・・ 夏目漱石 「作物の批評」
・・・例を挙げると、いくらもあるが、丸橋忠弥とかいう男が、酒に酔いながら、濠の中へ石を抛げて、水の深浅を測るところが、いかにも大事件であるごとく、またいかにも豪そうな態度で、またいかにも天下の智者でなくっちゃ、こんな真似はできないぞと云わぬばかり・・・ 夏目漱石 「明治座の所感を虚子君に問れて」
・・・人間には智者もあり、愚者もあり、徳者もあり、不徳者もある。しかしいかに大なるとも人間の智は人間の智であり、人間の徳は人間の徳である。三角形の辺はいかに長くとも総べての角の和が二直角に等しというには何の変りもなかろう。ただ翻身一回、此智、此徳・・・ 西田幾多郎 「愚禿親鸞」
・・・然りといえども、智愚相対してその間に不和あれば、智者まず他を容れてこれを処置せざるべからず。 ゆえに真の愚民に対しては、政府まずその愚を容れてこの水掛論の処置に任せざるべからずといえども、本編の主として論ずる学者にいたりては、すなわちこ・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・すでにその動かすべからざるを知らば、これにしたがうこそ智者の策なれ。けだし、学校の教育をして順に帰せしむること、流にしたがいて水を治むるが如くせんとはこの謂なり。 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・内に私徳の修まるあれば、外に発して朋友の信となり、治者被治者の義となり、社会の交際法となるべし。 けだし社会は個々の家よりなるものにして、良家の集合すなわち良社会なれば、徳教究竟の目的、はたして良社会を得んとするにあるか、須らく本に返り・・・ 福沢諭吉 「読倫理教科書」
・・・即ち朋友に信といい、長幼に序といい、君臣または治者・被治者の間に義というが如く、大切なる箇条あり。これを人生戸外の道徳という。即ち家の外の道徳という義にして、家族に縁なく、広く社会の人に交わるに要用なるものにして、かの居家の道徳に比すれば、・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・途中で午飯を食って、日が西に傾きかかったころ、国清寺の三門に着いた。智者大師の滅後に、隋の煬帝が立てたという寺である。 寺でも主簿のご参詣だというので、おろそかにはしない。道翹という僧が出迎えて、閭を客間に案内した。さて茶菓の饗応が済む・・・ 森鴎外 「寒山拾得」
出典:青空文庫