・・・それから平貝のフライを肴に、ちびちび正宗を嘗め始めた。勿論下戸の風中や保吉は二つと猪口は重ねなかった。その代り料理を平げさすと、二人とも中々健啖だった。 この店は卓も腰掛けも、ニスを塗らない白木だった。おまけに店を囲う物は、江戸伝来の葭・・・ 芥川竜之介 「魚河岸」
・・・ 牧野は始終愉快そうに、ちびちび杯を嘗めていた。そうして何か冗談を云っては、お蓮の顔を覗きこむと、突然大声に笑い出すのが、この男の酒癖の一つだった。「いかがですな。お蓮の方、東京も満更じゃありますまい。」 お蓮は牧野にこう云われ・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・俥夫三年の間にちびちび溜めて来たというものの、もとより小資本で、発行部数も僅か三百、初号から三号までは、無料で配り、四号目には、もう印刷屋への払いが出来なかった。のみならず、いかに門前の俥夫だったとはいえ、殆んど無学文盲の丹造の独力では、記・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・今、ちびちび売って行けば、結局五万円の新券がはいるわけだな」「五十銭やすく売れば羽根が生えて売れるよ。四円五十銭としても、四万五千円だからな」「市電の回数券とは巧いこと考えよったな。僕は京都へ行って、手当り次第に古本を買い占めようと・・・ 織田作之助 「郷愁」
・・・たまりかねて、暮の用意にとちびちび貯めていた金をそっくり、ほんの少しだがと、今朝渡したのである。毎年ゆで玉子屋の三人いる子供に五十銭宛くれてやるお年玉も、ことしは駄目かも知れない。いまは昔のような贅沢なところはなくなっているが、それでも照枝・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・ 文公は恵まれた白馬一本をちびちび飲み終わると飯を初めた、これも赤んぼをおぶった女主人の親切でたらふく食った。そして、出かけると急に亭主がこっちを向いて、「まだ降ってるだろう、やんでから行きな。」「たいしたことはあるまい。みなさ・・・ 国木田独歩 「窮死」
・・・ そうしてお酒を一本飲み、その次はビイル、それからまたお酒という具合いに、交る交る飲み、私はその豪放な飲みっぷりにおそれをなし、私だけは小さい盃でちびちび飲みながら、やがてそのひとの、「国を出る時や玉の肌、いまじゃ槍傷刀傷。」とかいう馬・・・ 太宰治 「酒の追憶」
・・・私はこのウイスキイを、かなり前にやっと一ダアスゆずってもらい、そのために破産したけれども後悔はせず、ちびちび嘗めて楽しみ、お酒の好きな作家の井伏さんなんかやって来たら飲んでもらおうとかなり大事にしていたのである。しかし、だんだん無くなって、・・・ 太宰治 「親友交歓」
・・・のコーヒーをちびちびなめながら淡い郷愁を瞞着するのが常習になってしまった。 ベルリンの冬はそれほど寒いとは思わなかったが暗くて物うくて、そうして不思議な重苦しい眠けが濃い霧のように全市を封じ込めているように思われた。それが無意識な軽微の・・・ 寺田寅彦 「コーヒー哲学序説」
・・・金をちびちびためようとは思いません。できるのは一時です」彼はいくらか興奮したような声で言った。 私たちは河原ぞいの道路をあるいていた。河原も道路も蒼白い月影を浴びて、真白に輝いていた。対岸の黒い松原蔭に、灯影がちらほら見えた。道路の傍に・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
出典:青空文庫