・・・の間違いぐらい偶然でないのかもしれないが、こんな間違いがあるとかえって長生きするもんだというからそうであってくれるといいがね、おふくろなんかの場合のように、鎌倉まで来たはいいやですぐ死なれたのでは困っちまうなあ」「まさかみんながみんなそ・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・「こんなに獲っていちゃ、シベリヤの兎が種がつきちまうだろう。」 吉田はそんなことを云ったりした。 でも、あくる日行くと、また、兎は二人が雪を踏む靴音に驚いて、長い耳を垂れ、草叢からとび出て来た。二人は獲物を見つけると、必ずそれを・・・ 黒島伝治 「雪のシベリア」
・・・「ああそうさ、厭になっちまうよ。五六日は身体が悪いって癇癪ばかり起してネ、おいらを打ったり擲いたりした代りにゃあ酒買いのお使いはせずに済んだが、もう癒ったからまた今日っからは毎日だろう。それもいいけれど、片道一里もあるところをたった二合・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・「ツ、いい虫だっちゃあない、呆れっちまうよ。さあさあお起ッたらお起きナ、起きないと転がし出すよ。と夜具を奪りにかかる女房は、身幹の少し高過ぎると、眼の廻りの薄黒く顔の色一体に冴えぬとは難なれど、面長にて眼鼻立あしからず、粧り立てなば・・・ 幸田露伴 「貧乏」
・・・で、そんな背の低いことでも三郎をからかうと、そのたびに三郎はくやしがって、「悲観しちまうなあ――背はもうあきらめた。」 と、よく嘆息した。その三郎がめきめきと延びて来た時は、いつのまにか妹を追い越してしまったばかりでなく、兄の太郎よ・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・ここは心易い家でしてネ、それにお内儀さんがあの通り如才ないでしょう、つい前を通るとこんなことに成っちまうんです」「私も小諸へ来ましてから、いくらかお酒が飲めるように成りました」「でしょう。一体にこの辺の人は強酒です。どうしても寒い国・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・このままで、寝ちまうからね。たのむよ。」 私は、こたつに足をつっこみ、二重廻しを着たままで寝た。 夜中に、ふと眼がさめた。まっくらである。数秒間、私は自分のうちで寝ているような気がしていた。足を少しうごかして、自分が足袋をはいている・・・ 太宰治 「朝」
・・・僕は、ものを隠して置けないたちだから、みんな言っちまうがね、君の姉さんは、ちかく結婚したいっていうんだ。相手は、なかなか立派な人なんだそうだ。いや、それは、いいんだ。結構なことだ。僕の知ったことじゃない。けれども、そのあとがいけない。さもし・・・ 太宰治 「花燭」
・・・とんでもない処へ行っちまうぜ」と云うので、教えられたままにそこから直角に曲って南へ正しい街道を求めながら人気の稀な多摩の原野を疾走した。広大な松林の中を一直線に切開いた道路は実に愉快なちょっと日本ばなれのした車路で、これは怪我の功名意外の拾・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
・・・「何がって、――登る途中で焼き殺されちまうだろう」「馬鹿を云っていらあ。夜だから、ああ見えるんだ。実際昼間から、あのくらいやってるんだよ。ねえ、姉さん」「ねえ」「ねえかも知れないが危険だぜ。ここにこうしていても何だか顔が熱い・・・ 夏目漱石 「二百十日」
出典:青空文庫