・・・わたしの信ずるところによれば、或は柱頭の苦行を喜び、或は火裏の殉教を愛した基督教の聖人たちは大抵マソヒズムに罹っていたらしい。 我我の行為を決するものは昔の希臘人の云った通り、好悪の外にないのである。我我は人生の泉から、最大の味を汲み取・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・そのかわり私が志で、ここへわざと端銭をこう勘定して置きます、これでどうぞ腰の痛くねえ汽車の中等へ乗って、と割って出しましただけに心持が嬉しゅうございましょう。勿体ないがそれでは乗ろうよ。ああ、おばさん御機嫌ようと、女房も深切な。 二人と・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・ライオンハミガキの広告灯が赤になり青になり黄に変って点滅するあの南の夜空は、私の胸を悩ましく揺ぶり、私はえらくなって文子と結婚しなければならぬと、中等商業の講義録をひもとくのだったが、私の想いはすぐ講義録を遠くはなれて、どこかで聞えている大・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・彼は国漢文中等教員検定試験の勉強中であった。それで、お君は、「あわれ逢瀬の首尾あらば、それを二人が最期日と、名残りの文のいいかわし、毎夜毎夜の死覚悟、魂抜けてとぼとぼうかうか身をこがす……」 と、「紙治」のサワリなどをうたった。下手・・・ 織田作之助 「雨」
・・・実は、おれは中等学校へは二三年通ったことはあるが、それ以上の学問は、少なくとも学校と名のつくところでは、やらなかった。当のおれが言うのだから、間違いはなかるまい。 いや、そんなことは、どうでもよい。それよりも、「丹造今日の大を成すに与っ・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・学校における成績も中等で、同級生のうち、彼よりも優れた少年はいくらもいた。また彼はかなりの腕白者で、僕らといっしょにずいぶん荒れたものである。それで学校においても郷党にあっても、とくに人から注目せられる少年ではなかった。 けれども天の与・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・ 汽車の上り下りには赤帽が世話をする、車中では給仕が世話をする、食堂車がある、寝台車がある、宿屋の手代は停車場に出迎えて居る、と言ったような時世になったのですから、今の中等人士は昔時の御大名同様に人の手から手へ渡って行って、ひどく大切に・・・ 幸田露伴 「旅行の今昔」
・・・この村では、とにかく中等学校を出ているのは、私ひとりで、あなたと一緒になれる資格のあるのは私だけだと、その前からぼんやり考えていた事でしたが、あのお弁当のおかずを取りかえて食べて、そうして、あなたのお母さんが、あなたに、清蔵さんのおかずは特・・・ 太宰治 「冬の花火」
・・・ しかし中等学校を卒業しないうちに学校生活が一時中断するようになったというのは、彼の家族一同がイタリアへ移住する事になったのである。彼等はミランに落着いた。そこでしばらく自由の身になった少年はよく旅行をした。ある時は単身でアペニンを越え・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・それだから自分の案では、中等学校の三年頃からそれぞれの方面に分派させるがいいと思う。その前に教える事は極めて基礎的なところだけを、偏しない骨の折れない程度に止めた方がいい。それでもし生徒が文学的の傾向があるなら、それにはラテン、グリーキも十・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
出典:青空文庫