・・・ あなたはあの頃、画家になるのだと言って、たいへん精巧のカメラを持っていて、ふるさとの夏の野道を歩きながら、パチリパチリだまって写真とる対象物、それが不思議に、私の見つけた景色と同一、そっくりそのまま、北国の夏は、南国の初秋、まっかに震・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・ ひとりの記者がカメラを私たちの方に向けて叫び、パチリと写真をうつしました。「こんどは、笑って!」 その記者が、レンズを覗きながら、またそう叫び、少年のひとりは、私の顔を見て、「顔を見合せると、つい笑ってしまうものだなあ。」・・・ 太宰治 「美男子と煙草」
・・・教授用フィルムに簡単な幻燈でも併用すれば、従来はただ言葉の記載で長たらしくやっている地理学などの教授は、世界漫遊の生きた体験にも似た活気をもって充たされるだろう。そして地図上のただの線でも、そこの実景を眼の当りに経験すれば、それまでとはまる・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・ ハルツの旅 地理学の学生の仲間にはいって、ハルツを見に行った。霧の深い朝であった。霧が晴れかかった時に、線路の横の畑の中に一疋の駄馬がしょんぼり立っているのが見えた。その馬のからだ一面から真白な蒸気が仰山に立ち昇・・・ 寺田寅彦 「異郷」
・・・先年小田原の浜べで大波の日にヘルムホルツの共鳴器を耳に当て波音の分析を試みたことがあったが、かなりピッチの高い共鳴器で聞くとチリチリチリといったように一秒間に十回二十回ぐらいの割合で断続する轢音が聞こえる、それがいくらかこの蝗群の羽音に似通・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・てもあとに証拠が残らないからいいが、金銅の大仏などについてうっかりでたらめな批評でも書いておいて、そうして運悪くこの批評が反古にならずに百年の後になって、もしや物好きな閑人のためにどこかの図書館の棚のちりの奥から掘り出されでもすると実にたい・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・そして花片の散り落ちるように、また漏刻の時を刻むように羯鼓の音が点々を打って行くのである。 ここが聞きどころつかまえどころと思われるような曲折は素人の私には分らない。しかしそこには確かに楽の中から流れ出て地と空と人の胸とに滲透するある雰・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ 帰りに、腰に敷いていた大きな布切れのちりを払おうとした拍子に取り落とした。それが溝の崖のずっと下のほうに引っかかって容易には取り上げる事ができないので、そのままにして帰った。この布切れが今でもやっぱり引っかかっているかもしれない。この・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・一度鉛筆で直したのを、あとで、インキでちゃんと書き入れて、そうして最後に消しゴムですっかり鉛筆を消し取って、そのちりを払うことまで先生がやられるので、こっちではかえってすっかり恐縮してしまって、「私やりますから」と言っても、平気ですみからす・・・ 寺田寅彦 「田丸先生の追憶」
・・・こうなれば宿帳つけに来し男の濡れ髪かき分けたるも涼しく、隣室にチリンと鳴るコップの音も涼しく、向うの室の欄干に倚りし女の白き浴衣も涼しげなり。昨日よりの疲れ一時に洗い去られしようにてからだのび/\となる。手を拍ちて床をのべさせ横になれば新し・・・ 寺田寅彦 「東上記」
出典:青空文庫