・・・すると子供らも散り散りに帰って行く。あとはしんとして死んだような空気が広場をとざしてしまうのである。いつか塒に迷うた蝙蝠を追うて荒れ地のすみまで行ったが、ふと気がついて見るとあたりにはだれもいぬ。仲間も帰ったか声もせぬ。・・・ 寺田寅彦 「花物語」
・・・丁度一匁とかキッチリ一寸など云えば大変に正確に聞えるが、精密とか粗雑とかいうのも結局は相対的の言葉である。人智の測り得る所いずれか粗雑ならざらんやである。丁度と云いキッチリというのも約というのも根本的の相違はない。一尺の竹の尺度を百本比較す・・・ 寺田寅彦 「方則について」
・・・ 深水がベンチのちりをはらって、自分のとなりに彼女を腰かけさせ、まだつったっている三吉を、反対がわのベンチへ腰かけさせてから、彼の改まったときのくせで、エヘンと咳ばらいした。「こちら、青井三吉君――、こちらは野上シゲさん――」 ・・・ 徳永直 「白い道」
・・・ゆるんだタガが、キッチリしまって、頬冠した顔が若やいで見えた。「三国一の花婿もろうてナ――ヨウ」 スウスウと缺けた歯の間から鼻唄を洩らしながら、土間から天秤棒をとると、肥料小屋へあるいて行った。「ウム、忰もつかみ肥料つくり上手に・・・ 徳永直 「麦の芽」
・・・ 上野の始て公園地となされたのは看雨隠士なる人の著した東京地理沿革誌に従えば明治六年某月である。明治十年に至って始て内国勧業博覧会がこの公園に開催せられた。当時上野なる新公園の状況を記述するもの箕作秋坪の戯著小西湖佳話にまさるものはある・・・ 永井荷風 「上野」
・・・ これは後に知ったことであるが、仮名垣魯文の門人であった野崎左文の地理書に委しく記載されているとおり、下総の国栗原郡勝鹿というところに瓊杵神という神が祀られ、その土地から甘酒のような泉が湧き、いかなる旱天にも涸れたことがないというのであ・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・しかし今見れば散りつもる落葉の朽ち腐された汚水の溜りに過ぎない。 碑の立てられた文化九年には南畝は既に六十四歳になっていた。江戸から遠くここに来って親しく井の水を掬んだか否か。文献の徴すべきものがあれば好事家の幸である。 わたくしは・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・ 毎年庭の梅の散りかける頃になると、客間の床には、きまって何如璋の揮毫した東坡の絶句が懸けられるので、わたくしは老耄した今日に至ってもなお能く左の二十八字を暗記している。梨花淡白柳深青 〔梨花は淡白にして柳は深青柳絮飛時花・・・ 永井荷風 「十九の秋」
大抵のイズムとか主義とかいうものは無数の事実を几帳面な男が束にして頭の抽出へ入れやすいように拵えてくれたものである。一纏めにきちりと片付いている代りには、出すのが臆劫になったり、解くのに手数がかかったりするので、いざという・・・ 夏目漱石 「イズムの功過」
・・・たとえば英語の教師が英語に熱心なるのあまり学生を鞭撻して、地理数学の研修に利用すべき当然の時間を割いてまでも難句集を暗誦させるようなものである。ただにそれのみではない、わが専攻する課目のほか、わが担任する授業のほかには天下又一の力を用いるに・・・ 夏目漱石 「作物の批評」
出典:青空文庫