・・・ 生霊や死霊に憑かれることは、昔からの云い慣わしであった。そして、怨霊のために、一家が死滅したことは珍しくなかった。だが、どんな怨霊も、樫の木の閂で形を以って打ん殴ったものはなかった。で、無形なものであるべき怨霊が、有形の棍棒を振うこと・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・あの広野を女神達が歩いていて、手足の疲れる代りには、尊い草を摘み取って来るのだが、それが何だか我身に近付いて来るように思われる。あの女神達は素足で野の花の香を踏んで行く朝風に目を覚し、野の蜜蜂と明るい熱い空気とに身の周囲を取り巻かれているの・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・それがひどく疲れるんだよ。もう疲れて疲れて手をはなしそうになるんだ。それでもみんな早く北極へ行こうと思うから仲々手をはなさない、それでもとうとうたまらなくなって一人二人ずつ手をはなすんだ。そして『もう僕だめだ。おりるよ。さよなら。』・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・さもなければ、緊張と中絶との全然受動的なくり返しで、かえって気が疲れるのである。 ガアガアと反響のつよい建物中をあれ狂っていたラジオが消えると、ホッとした休安を感じつつ、ある日曜の午後、私はかつて音に関して自分の注意をひいたことのある一・・・ 宮本百合子 「芸術が必要とする科学」
・・・翅の薄い、体の軟い弱い蝶々は幾万とかたまって空を覆って飛び、疲れると波の上にみんなで浮いて休み、また飛び立って旅をつづけ、よく統制がとれて殆ど落伍するものなく移動を成就するのだそうである。歴史の一こまを前進させるという人類の最も高貴な事業が・・・ 宮本百合子 「結集」
・・・ 母親は保守的になって、しかも仏いじりの代りに国体を云々するようにその強い気質をおびきよせられているのであった。 疲れるといけないからと母親をかえして、元のコンクリートの渡りを、鼻緒のゆるんだアンペラ草履で渡って来ると、主任が、・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・私は今、回復期のきわめて滑稽な状態で、自分の疲れ方が見当がつかないところがあって、どの位まで動いたら気持よく眠れる程度に疲れるのかわからないでまごついています。どうもボタンなんかをみつめて目玉をくりむくと、てき面にひどく疲れて工合悪く、昨日・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・体も疲れると心臓が苦しいので氷嚢を当てますが、それ程疲れなければ平気であるし大体私は夏は精神活動も活溌だから、近々に又小さい家をもって、今度は誰か家のことをしてくれるひとを見つけて、単純に、しかも充実した美しい生活をやるつもりです。 今・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・人間として密度の細かい心の疲れる性質と思われる。 芸術座の人々が、自分達の持って生れた言葉でやってさえ、なかなかうまく行かなかったのだそうだから、翻訳文の欠点が当然つきまとう外国語でして、いきなり本物になれないのは寧ろあたりまえであろう・・・ 宮本百合子 「「三人姉妹」のマーシャ」
・・・ドウも疲れるよ。一体女というものには少しも禅気がないからナ。女はみんな魔のさしてるものだよ。」 そして、女の仲間へゆくと自分がすっかり無言になって、非常に縮って、顔が熱くなって来て気が遠くなったような心持がして「この腕もトンと揮えんてナ・・・ 宮本百合子 「女性の歴史の七十四年」
出典:青空文庫