・・・を助けて働く者はお絹お常とて一人は主人の姪、一人は女房の姪、お絹はやせ形の年上、お常は丸く肥りて色白く、都ならば看板娘の役なれどこの二人は衣装にも振りにも頓着なく、糯米を磨ぐことから小豆を煮ること餅を舂くことまで男のように働き、それで苦情一・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・「オイオイ、他人を悪口する前に先ず自家の所信を吐くべしだ。君は何の堕落なんだ」と上村が切り込んだ。「堕落? 堕落たア高い処から低い処へ落ちたことだろう、僕は幸にして最初から高い処に居ないからそんな外見ないことはしないんだ! 君なんか・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・城山の麓にて撞く鐘雲に響きて、屋根瓦の苔白きこの町の終より終へともの哀しげなる音の漂う様は魚住まぬ湖水の真中に石一個投げ入れたるごとし。 祭の日などには舞台据えらるべき広辻あり、貧しき家の児ら血色なき顔を曝して戯れす、懐手して立てるもあ・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・ この答も我知らず出たので、嘘を吐く気もなく吐いたのである。 既にこうなれば自分は全たくの孤立。母の秘密を保つ身は自分自身の秘密に立籠らねばならなくなった。「まアどうして?」と妻のうれしそうに問のを苦笑で受けて、手軽く、「能・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・秋やや老いて凩鳴りそむれば物さびしさ限りなく、冬に入りては木の葉落ち尽くして庭の面のみ見すかさるる、中にも松杉の類のみは緑に誇る。詩人は朝夕にこの庭を楽しみて暮らしき。 ある年の冬の初め、この庭の主人は一人の老僕と、朝な朝な箒執りて落ち・・・ 国木田独歩 「星」
・・・『敵を組み伏せた時、左でこう敵を押えて右でこうぬいて、』かれの身振りはさすがに勇ましかった、『こう突くのだ。』そしてかれは『あはははは』と笑った。すべてその挙動がいかにもそわそわしていた。 自分はかれこれと話して見たが、何一つ身にしみて・・・ 国木田独歩 「まぼろし」
・・・ しかしその市の尽くる処、すなわち町外ずれはかならず抹殺してはならぬ。僕が考えには武蔵野の詩趣を描くにはかならずこの町外れを一の題目とせねばならぬと思う。たとえば君が住まわれた渋谷の道玄坂の近傍、目黒の行人坂、また君と僕と散歩したことの・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・そういうとき、本当に愛し合ったいろいろの思い出は愛を暖め直すし、またあきらめがつく。あれだけ愛したのだものをと思わせる。そうしているうちには、もともと人生と人間とを知ること浅く、無理な、過大な要求を相手にしているための不満なのだから、相方が・・・ 倉田百三 「愛の問題(夫婦愛)」
・・・ しかしかかる評価とは、かく煙を吐く浅間山は雄大であるとか、すだく虫は可憐であるとかいう評価と同じく、自然的事実に対する評価であって、その責任を問う道徳的評価の名に価するであろうか。ある人格はかく意志決定するということはその人格の必然で・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・こうしたやさしき情緒の持主なればこそ、われわれは彼の往年の猛烈な、火を吐くような、折伏のための戦いを荒々しと見ることはできないのである。また彼のすべての消息を見て感じることはその礼の行きわたり方である。今日日蓮の徒の折伏にはこの礼の感じの欠・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
出典:青空文庫