・・・今まで荷船の輻湊した狭い堀割の光景に馴らされていた眼には、突然濁った黄いろの河水が、岸の見えない低地の蘆をしたしつつ、満々として四方にひろがっているのを見ると、どうやら水害の惨状を望むが如く、俄に荒凉の気味が身に迫るのを覚えた。わたくしは東・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・ 動坂の手前の焼跡に立つと、田端の陸橋が一望のうちに見えるようになったとおり、空襲のあとは、東と西に低地をもつ林町辺の地形がくっきりむき出された。そして、又おのずからこれまでにない眺望を与えている。森鴎外が住んでいた家は、団子坂をのぼっ・・・ 宮本百合子 「田端の汽車そのほか」
・・・ 低地にひろがった尾久方面も、高台も、今は一面の焼け野原となっていた。アスファルトの道ばたには、半分焦げのこった電柱だの、焼け垂れたままの電線、火熱でとけて又かたまったアスファルトのひきつれなどがあった。焼トタンのうずたかい暗い道の上で・・・ 宮本百合子 「風知草」
・・・素と私の家の向いは崖で、根津へ続く低地に接しているので、その崖の上には世に謂う猫の額程の平地しか無かった。そこに、根津が遊郭であった時代に、八幡楼の隠居のいる小さい寮があった。後にそれを買い潰して、崖の下に長い柱を立てて、私の家と軒が相対す・・・ 森鴎外 「二人の友」
出典:青空文庫