・・・そして二月経ったが、手一つ握るのも躊躇される気の弱さだった。手相見てやろかと、それがやっとのことだった。手相にはかねがね趣味をもっていて、たまに当るようなこともあった。 瞳の手は案外に荒れてザラザラしていたが、坂田は肩の柔かさを想像して・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・その友達というのは手相を見る男で、それも西洋流の手相を見る男で、僕の手相を見たとき、君の手にはソロモンの十字架がある。それは一生家を持てない手相だと言ったんです。僕は別に手相などを信じないんだが、そのときはそう言われたことでぎくっとしました・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・「私はね、このあいだから手相をやっていますよ。ほら、太陽線が私のてのひらに現われて来ています。ほら。ね、ね。運勢がひらける証拠なのです。」 そう言いながら左手をたかく月光にかざし、自分のてのひらのその太陽線とかいう手筋をほれぼれと眺めた・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・私は、みんなの手相を見てやった。十九歳だ。寅のとし生れだ。よすぎる男を思って苦労している。薔薇の花が好きだ。君の家の犬は、仔犬を産んだ。仔犬の数は六。ことごとく当ったのである。かの痩せた、眼のすずしい中年の女給は、ふたりの亭主を失ったと言わ・・・ 太宰治 「逆行」
・・・そうして、人間の性情の型を判断する場合にこの方がむしろ手相判断などよりも、もっと遥かに科学的な典拠資料になりはしないかと想像される。 少なくも、真黒な指の痕をつけている人は、名札の汚れなどという事には全然無関心な人であるというくらいのこ・・・ 寺田寅彦 「雑記帳より(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・解釈するも事に益することなきは実際に明なる所にして、例えば和文和歌を講じて頗る巧なりと称する女学史流が、却て身辺の大事を忘却して自身の病に医を択ぶの法を知らず、老人小児を看病して其方法を誤り、甚しきは手相家相九星八卦等、あられもせぬ事に苦労・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・ そして、本気に、「あんたはん、ほんまに手相お見やすのんどすか?――どの筋がそうどす――浮気するたらどこに書いとおす」 ひろ子は思う壺に嵌りすぎて、おかしいのと照れるのとで、少し赧くなりながら説明した。「ほら、ね、この人指し・・・ 宮本百合子 「高台寺」
・・・あなたの運命を自身で判断しなさい。手相占の本もある。ボール札が紐でつる下っている。 諸君ノ図書館ヲ利用セヨ。 古本屋は東端でイギリス痛風だ。震えた字だ。 屋根にトタン板を並べた鋳鉄工作所から黒い汚水と馬糞が一緒くたに流れ出して・・・ 宮本百合子 「ロンドン一九二九年」
出典:青空文庫