・・・ドストイエフスキーとプロレタリアの闘士をならべる奴もあるもんでない、と思った。俺も昔その本を退屈しいしい読んだ記憶がある。成る程、人道主義者には此処はあんなにも悲痛で、陰惨で、救いのないものに見えるかも知れないが未来を決して見失うことのない・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・そこへ茶の間の唐紙のあいたところから、ちょいと笑顔を見せたのは末子だ。脛かじりは、ここにも一人いると言うかのように。 その時まで、三郎は何かもじもじして、言いたいことも言わずにいるというふうであったが、「とうさん――ホワイトを一本と・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・破れた唐紙の陰には、大黒頭巾を着た爺さんが、火鉢を抱えこんで、人形のように坐っている。真っ白い長い顎髯は、豆腐屋の爺さんには洒落すぎたものである。「おかしかしかし樫の葉は白い。今の娘の歯は白い」 お仙は若い者がいるので得意になって歌・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・私もまた、おくればせながら、この神棚の下で凍死した。死んだつもりでいたのだが、この首筋ふとき北方の百姓は、何やらぶつぶつ言いながら、むくむく起きあがった。大笑いになった。百姓は、恥かしい思いをした。 百姓は、たいへんに困った。一時は、あ・・・ 太宰治 「一日の労苦」
唐詩選の五言絶句の中に、人生足別離の一句があり、私の或る先輩はこれを「サヨナラ」ダケガ人生ダ、と訳した。まことに、相逢った時のよろこびは、つかのまに消えるものだけれども、別離の傷心は深く、私たちは常に惜別の情の中に生きてい・・・ 太宰治 「「グッド・バイ」作者の言葉」
・・・言下に反撥して来る。闘志満々である。「カフェへ行って酒を呑むことを考えなさい。」失敬なことまで口走る。「カフェなんかへは行かないよ。行きたくても、行けないんだ。四円なんて、僕には、おそろしく痛かったんですよ。」実相をぶちまけるより他は無・・・ 太宰治 「市井喧争」
・・・資本主義的経済社会に住んでいることが裏切りなら、闘士にはどんな仙人が成るのだ。そんな言葉こそウルトラというものだ。小児病というものだ。一のプロレタリアアトへの貢献、それで沢山。その一が尊いのだ。その一だけの為に僕たちは頑張って生きていなけれ・・・ 太宰治 「葉」
・・・ ト屋根ヤブレルホドノ大喝采、ソレモ一瞬ノチニハ跡ナク消エル喝采、ソレガ、ホシクテ、ホシクテ、一万円、二万円、モットタクサン投資シタ。昔、昔、ギリシャ詩人タチ、ソレカラ、ボオドレエル、ヴェルレエヌ、アノ狡イ爺サンゲエテ閣下モ、アア、忘レルモ・・・ 太宰治 「走ラヌ名馬」
・・・見込まれて狼狽閉口していながらも、杉浦君のような高潔な闘士に、「鶴見君は有望だ」と言われると、内心まんざらでないところもあったのである。何がどう有望なのか、勝治には、わけがわからなかったのであるが、とにかく、今の勝治を、まじめにほめてくれる・・・ 太宰治 「花火」
・・・ 妻は枕元の火鉢の傍で縫いかけの子供の春着を膝へのせたまま、向うの唐紙の更紗模様をボンヤリ見詰めて何か考えていたが、思い出したように、針を動かし始める。唐縮緬の三つ身の袖には咲き乱れた春の花車が染め出されている。嬢やはと聞くと、さっきか・・・ 寺田寅彦 「枯菊の影」
出典:青空文庫