・・・』女房はしかるように言って、燗徳利をちょっと取って見て、『まだあるくせに。』『あってもいいよ、二合取って来てくんねエ。明日口がきけねえから。』『だれにさ、だれに口がきけねえんだよ。ばかばかしい。』『なるほどうまいことを言うじゃア・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・一升徳利をぶらさげて先生、憚りながら地酒では御座らぬ、お露の酌で飲んでみさっせと縁先へ置いて去く老人もある。 ああ気楽だ、自由だ。母もいらぬ、妹もいらぬ、妻子もいらぬ。慾もなければ得もない。それでいてお露が無暗に可愛のは不思議じゃないか・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・ 簿記函と書た長方形の箱が鼠入らずの代をしている、其上に二合入の醤油徳利と石油の鑵とが置てあって、箱の前には小さな塗膳があって其上に茶椀小皿などが三ツ四ツ伏せて有る其横に煤ぼった凉炉が有って凸凹した湯鑵がかけてある。凉炉と膳との蔭に土鍋・・・ 国木田独歩 「二少女」
・・・ ところへ細君は小形の出雲焼の燗徳利を持って来た。主人に対って坐って、一つ酌をしながら微笑を浮べて、「さぞお疲労でしたろう。」と云ったその言葉は極めて簡単であったが、打水の涼しげな庭の景色を見て感謝の意を含めたような口調であった・・・ 幸田露伴 「太郎坊」
・・・と突然に夜具を引剥ぐ。夫婦の間とはいえ男はさすが狼狙えて、女房の笑うに我からも噴飯ながら衣類を着る時、酒屋の丁稚、「ヘイお内室ここへ置きます、お豆腐は流しへ置きますよ。と徳利と味噌漉を置いて行くは、此家の内儀にいいつけられたるな・・・ 幸田露伴 「貧乏」
・・・潮は今ソコリになっていてこれから引返そうというところであるから、水も動かず浮子も流れないが、見るとその浮子も売物浮子ではない、木の箸か何ぞのようなものを、明らかに少年の手わざで、釣糸に徳利むすびにしたのに過ぎなかった。竿も二間ばかりしかなく・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・太郎はまたこの新築した二階の部屋で初めての客をするという顔つきで、冷めた徳利を集めたり、それを熱燗に取り替えて来たりして、二階と階下の間を往ったり来たりした。「太郎さんも、そこへおすわり。」と、私は言った。「森さんのおかあさんが丹精して・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・毎晩二合徳利で三本飲んで、ちょっと頬っぺたが赤くなる位だ。それから、気軽に立って、おい佐吉さん、銭湯へ行こうよと言い出すのだから、相当だろう。風呂へ入って、悠々と日本剃刀で髯を剃るんだ。傷一つつけたことが無い。俺の髯まで、時々剃られるんだ。・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・テエブルに並べられたビイル瓶が六本になれば、日本酒の徳利が十本になれば、私は思い出したようにふらっと立ちあがり、お会計、とひくく呟くのである。五円を越えることはなかった。私は、わざとほうぼうのポケットに手をつっこんでみるのだ。金の仕舞いどこ・・・ 太宰治 「逆行」
・・・巨人の掌上でもだえる佳姫や、徳利から出て来る仙人の映画などはかくして得られるのである。このようにカメラの距離の調節によって尺度の調節ができるのみならず、また、カメラの角度によって異常なパースペクティーヴを表現し、それによって平凡な世界を不思・・・ 寺田寅彦 「映画の世界像」
出典:青空文庫