・・・そんな男に引懸かるというのは一体どういう量見なのでしょう。………「僕は小えんの不しだらには、呆れ返らざるを得ないと云った。しかし若槻の話を聞いている内に、だんだん僕を動かして来たのは、小えんに対する同情なんだ。なるほど若槻は檀那としては・・・ 芥川竜之介 「一夕話」
・・・ どういう積りで運命がそんな小康を私たちに与えたのかそれは分らない。然し彼はどんな事があっても仕遂ぐべき事を仕遂げずにはおかなかった。その年が暮れに迫った頃お前達の母上は仮初の風邪からぐんぐん悪い方へ向いて行った。そしてお前たちの中の一・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・B どういう意味だ。君はやっぱり歌人だよ。歌人だって可いじゃないか。しっかりやるさ。A おれはおれに歌を作らせるよりも、もっと深くおれを愛している。B 解らんな。A 解らんかな。しかしこれは言葉でいうと極くつまらんことになる・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・あの焼あとというものは、どういうわけだか、恐しく蚊が酷い。まだその騒ぎの無い内、当地で、本郷のね、春木町の裏長屋を借りて、夥間と自炊をしたことがありましたっけが、その時も前の年火事があったといって、何年にもない、大変な蚊でしたよ。けれども、・・・ 泉鏡花 「女客」
・・・君が朝鮮へ行って農業をやりたいというのは、どういう意味かよくわからないが、僕はただしばらくでも精神の安静が得たく、帰農の念がときどき起こるのである。しかし帰農したらば安静を得られようと思うのが、あるいは一時の懊悩から起こるでき心かもしれない・・・ 伊藤左千夫 「去年」
・・・僕はさッきから独りで、どういう風に油をしぼってやろうかと、しきりに考えていたのだが、やさしい声をして、やさしい様子で来られては、今まで胸にこみ合っていたさまざまの忿怒のかたちは、太陽の光に当った霧と消えてしまった。「お酌」と出した徳利か・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ 椿岳の兄が伊藤の養子婿となったはどういう縁故であったか知らないが、伊藤の屋号をやはり伊勢屋といったので推すと、あるいは主家の伊勢長の一族であって、主人の肝煎で養子に行ったのかも知れない。 伊藤というはその頃京橋十人衆といわれた幕府・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・しかしながら、とにかく先生は非常な力を持っておった人でした。どういう力であったかというに、すなわち植物学を青年の頭のなかへ注ぎ込んで、植物学という学問の Interest を起す力を持った人でありました。それゆえに植物学の先生としては非常に・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・私は其の時からこの家にはどういう人々が住んでいるだろうかと思った。私は直ちに生活に奮闘している人々だと考えた。何となればこんなに朝早くから起きているのを見ると、多くの人々がまだ安眠している時分にも、生活の為に働いているのであろうと感じたから・・・ 小川未明 「ある日の午後」
・・・「え、それは私も言ったんですがね、向うの言うのじゃ、決めておくのはいいが、お互いにまたどういう思いも寄らない故障が起らないとも限らないから、まあもう少しとにかく待ってくれって、そう言うものですからね」「お光さん」と媼さんは改まって言・・・ 小栗風葉 「深川女房」
出典:青空文庫