・・・武士は相見互いということがある、どうか乗せてくれッて、たって頼んでも、言うことを聞いてくれなかった。兵、兵といって、筋が少ないとばかにしやがる。金州でも、得利寺でも兵のおかげで戦争に勝ったのだ。馬鹿奴、悪魔奴! 蟻だ、蟻だ、ほんとうに蟻・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・差し当りこの包みをどうにか処分しなくてはならない。どうか大地震でもあってくれればいいと思う。何もベルリンだって、地震が揺ってならないはずはない。それからこういう事も思った。動物園へ行って、河馬の咽へあの包みを入れてやろうかと云うのである。し・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・それがどうかして時おり移動したくなるとひょいと逆立ちをして麻痺した腰とあと足を空中高くさし上げてそうして前足で自由に歩いて行く。さすがに猿だけのことはあるのであるが、とにかくこれもオリジナルである。 吸っていた巻き煙草の吸いがらを檻の前・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
・・・しかるに人形のお園は太夫の声を吸収同化してかえってほんとうのお園そのものになりきってしまうのである。ここに人形劇の不思議があり、秘密がある。この秘密こそ発声映画研究家のまじめに研究し解決すべきものであろう。この現象の原因はどこにあるか、それ・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
・・・そしておそらく古い昔から実質的には今と同じ状態がなんべんとなく少しずつちがった形式で繰り返されながら、あらゆる異種の要素がおのずから消化され同化され、無秩序の混乱から統整の固有文化が発育して来ると、たとえだれがどんなに骨を折ってみても、日本・・・ 寺田寅彦 「カメラをさげて」
・・・各自の望みを追うに暇のない世人は、たまに彼の萎びた掌に一片の銅貨を落す人はあっても、おそらくはそれはただ自分の心の中の慈善箱に投げ入れるに過ぎぬであろう。そして今特別の同情を以て見ている余にさえも、この何処の何人とも知れぬ人の記憶が長く止ま・・・ 寺田寅彦 「凩」
・・・ 十幾年前にフィンランドの都ヘルジングフォルスへ遊びに行った時に私を案内して歩いたあちらの人が、財布から白銅貨のような形をした切符を出して、車掌というものの居ない車掌台の箱に投げ込むのを見た。つまらない事だが、私が今でもこの国この都を想・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・このような人々の群れの中にただ一人立ち上がって、白張りの蝙蝠傘を広げたのを逆さに高くさし上げて、親船の舷側から投げる銀貨や銅貨を受け止めようとしている娘があった。緑がかったスコッチのジャケツを着て、ちぢれた金髪を無雑作に桃色リボンに束ねてい・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・尤もこんな事は美術とは何の関係もない事ではあるが、それでも感受性の鋭い型の観覧者に取っては、彼等が場内にはいって後に作品から受取る表象の同化異化作用に何らかの影響を及ぼさないものだろうか。こんな事を考えているとバーリントンハウスの玄関や、シ・・・ 寺田寅彦 「帝展を見ざるの記」
・・・西洋人は自然を勝手に手製の鋳型にはめて幾何学的な庭を造って喜んでいるのが多いのに、日本人はなるべく山水の自然をそこなうことなしに住居のそばに誘致し自分はその自然の中にいだかれ、その自然と同化した気持ちになることを楽しみとするのである。 ・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
出典:青空文庫