・・・すなわち我々にとっては皇室は日本帝国と同義であった。皇室に対して忠であることは、「一旦緩急あれば義勇公に奉ずる」ことであった。対内的でなくして対外的であった。徳川時代の主従関係のように個人的なものではなく、対国家の関係であった。これだけの相・・・ 和辻哲郎 「蝸牛の角」
・・・かくのごとく父は、私利をはかって超個人的道義的任務を忘れたものをすべて腐敗せるものとして憎悪する。自己の身命を超個人的道義的任務に捧げるもののみが、正しいと見られるのである。儒教は自己の身命を「人倫の道」に捧げよと命ずる。すべての詔勅もまた・・・ 和辻哲郎 「蝸牛の角」
・・・五 予は道義を説く。愛を説く。ある人はそれを陳腐と呼ぶだろう。しかし予は陳腐なるものの内に新しい生命を見いだした喜びを語るのである。陳腐なる殻のうちに秘められたる漿液のうまさを伝えようとするのである。陳腐なるものは生命を持た・・・ 和辻哲郎 「『偶像再興』序言」
・・・と対立せしめた意味の、あるいは「精神」「文化」などに対立せしめた意味の、哲学的用語ではない。むしろ「生」と同義にさえ解せられる所の、人生自然全体を包括した、我々の「対象の世界」の名である。それは我々の感覚に訴えるすべての要素を含むとともに、・・・ 和辻哲郎 「「自然」を深めよ」
・・・そうして、ほんとうの生の頽廃まで行かないにしても、とにかく道義的脊骨を欠いた、生に対して不誠実な、なまこのような人間になってしまいます。これは確かに大きい危険です。 それでは青春を厳格に束縛し鍛錬して行くのがいいか。――もちろんそれはい・・・ 和辻哲郎 「すべての芽を培え」
・・・彼らを愛することは、私には腐敗を愛することと同義になった。彼らを愛したという記憶は自分が腐敗したという記憶にほかならなくなった。この記憶ある限り私は、時々自分の人格を疑わないではいられない。腐敗を憎む限り私は、彼らをも憎まないではいられない・・・ 和辻哲郎 「転向」
・・・すべて自己の道義的気質に抵触するものに対する本能的な気短い怒りである。従って、自己の確かでない感傷的な青年であった私は、自分が道義的にフラフラしているゆえをもって無意識に先生を恐れた。そうして先生の方へ積極的に進んで行く代わりに、先生の冷た・・・ 和辻哲郎 「夏目先生の追憶」
・・・我々はここに享楽的浮浪人としての画家、道義的価値に無関心な官能の使徒としての画家を見ずして、人類への奉仕・真善美の樹立を人間最高の目的とする人類の使徒としての画家を見る。もとより画家である限り、その奉仕は「美」への奉仕に限られている。しかし・・・ 和辻哲郎 「『劉生画集及芸術観』について」
・・・物暗き牢獄に鉄鎖のとなりつつ十数年の長きを「道義」のために平然として忍ぶ。荘厳なる心霊の発現である。兄弟は一人と死に二人と斃る。愛する同胞の可憐なる瞳より「生命」の光が今消え去らんとする一瞬にも彼らは互いに二間の距離を越えて見かわすのみであ・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫