・・・強烈な電燈の光に照出される昭和の世相は老眼鏡のくもりをふいている間にどんどん変って行く。この頃、銀座通に柳の苗木が植付けられた。この苗木のもとに立って、断髪洋装の女子と共に蓄音機の奏する出征の曲を聴いて感激を催す事は、鬢糸禅榻の歎をなすもの・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・その刻限になると、前座の坊主が楽屋に来るが否や、どこどんどんと楽屋の太鼓を叩きはじめる。表口では下足番の男がその前から通りがかりの人を見て、入らっしゃい、入らっしゃいと、腹の中から押出すような太い声を出して呼びかけている。わたくしは帳場から・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・ほっと一息つく間もなく車はすでに坂を下りて平地にあり、けれども毫も留まる気色がない、しかのみならず向うの四ツ角に立ている巡査の方へ向けてどんどん馳けて行く、気が気でない、今日も巡査に叱られる事かと思いながらもやはり曲乗の姿勢をくずす訳に行か・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・そうして裂き残しの分へまでもどんどん進んでいった。こう進んでゆくうちにも、自分は絶えず微笑を禁じえなかった。実をいうと手紙はある女から男にあてた艶書なのである。 艶書だけに一方からいうとはなはだ陳腐には相違ないが、それがまた形式のきまら・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・一九二五、五、一八、汽車は闇のなかをどんどん北へ走って行く。盛岡の上のそらがまだぼうっと明るく濁って見える。黒い藪だの松林だのぐんぐん窓を通って行く。北上山地の上のへりが時々かすかに見える。さあいよいよぼくらも岩手県・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・ みんなはどんどん踏みこんで行きました。 すると森の奥の方で何かパチパチ音がしました。 急いでそっちへ行って見ますと、すきとおったばら色の火がどんどん燃えていて、狼が九疋、くるくるくるくる、火のまわりを踊ってかけ歩いているのでし・・・ 宮沢賢治 「狼森と笊森、盗森」
・・・ ところが、貨車はどんどんやって来、もうその下をもぐって往来しかねるようになったので、この新しい木橋がつくられた。―― 新らしい陸橋はここで見たのがはじめてではなかった。どっか手前でもう二つばかり見た。 十一月五日。 あ・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・しかし私としては非常に、わずかのことしか知っていませんので、至極ぼんやりと、一九二九年以後アメリカの繁栄が蒙った変化につれて変化した文学、次第に成長し、ヨーロッパの良質な人をどんどんうけ入れてニュアンスを深めて来る「アメリカの明るさ」がどん・・・ 宮本百合子 「アメリカ我観」
・・・もう二、三日すれば、お盆のために蓮の花をどんどん切って大阪と京都とへ送り出すので、その前の今がちょうど見ごろだというわけであった。それでは落合太郎君もさそおうではないかと言って、そのころ真如堂の北にいた落合君のところを十時ごろに訪ねた。そう・・・ 和辻哲郎 「巨椋池の蓮」
・・・ただそういう方面の芽は自分で生かせようと努めないでもどんどんのびて行くものだというのです。そうしてそののびて行くことはいいことなのです。しかし「すべてを生かせよ、一切の芽を培え」という以上、それだけがのびればいいと言うわけには行きません。も・・・ 和辻哲郎 「すべての芽を培え」
出典:青空文庫