・・・保吉は英吉利語の教科書の中に難解の個所を発見すると、必ず粟野さんに教わりに出かけた。難解の、――もっとも時間を節約するために、時には辞書を引いて見ずに教わりに出かけたこともない訣ではない。が、こう云う場合には粟野さんに対する礼儀上、当惑の風・・・ 芥川竜之介 「十円札」
・・・藤岡にはコオエンの学説よりも、待合の方が難解なりしならん。恒藤はそんな事を知らざるに非ず。知って而して謹厳なりしが如し。しかもその謹厳なる事は一言一行の末にも及びたりき。例えば恒藤は寮雨をせず。寮雨とは夜間寄宿舎の窓より、勝手に小便を垂れ流・・・ 芥川竜之介 「恒藤恭氏」
・・・まさしく観世音の大慈の利験に生きたことを忘れない。南海霊山の岩殿寺、奥の御堂の裏山に、一処咲満ちて、春たけなわな白光に、奇しき薫の漲った紫の菫の中に、白い山兎の飛ぶのを視つつ、病中の人を念じたのを、この時まざまざと、目前の雲に視て、輝く霊巌・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・ 戎橋筋の端まで来て、私は南海通へ折れて行った。南海通にもあくどいペンキ塗りのバラックの飲食店や闇商人の軒店や街頭賭博屋の屋台が並んでいて、これが南海通かと思うと情けなく急ぎ足に千日前へ抜けようとすると、続けざまに二度名前を呼ばれた。声・・・ 織田作之助 「神経」
・・・突き当って右へ折れると、ポン引と易者と寿司屋で有名な精華学校裏の通りへ出るし、左へ折れてくねくね曲って行くと、難波から千日前に通ずる南海通りの漫才小屋の表へ出るというややこしい路地である。この路地をなぜ雁次郎横丁と呼ぶのか、成駒屋の雁次郎と・・・ 織田作之助 「世相」
・・・ やがて豹吉が南海通の方へ大股で歩き出すと、次郎と三郎は転げるようにしてチョコチョコついて来た。 南海通の波屋書房の二、三軒先き、千日前通へ出る手前の、もと出雲屋のあったところに、ハナヤという喫茶店が出来ていた。 ハナヤはもと千・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・その間吉田は自然その話よりも話をする女の顔の方に深い注意を向けないではいられなかったのであるが、その女にはそういう吉田の顔が非常に難解に映るのかさまざまに吉田の気を測ってはしかも非常に執拗にその話を続けるのであった。そして吉田はその話が次の・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・ しかし、演説の言葉、形式が、百姓には、どうも難解である。研究会で、理論闘争をやるほどのものではないにしろ、なお、その臭味がある。そこで、百姓は、十分その意味を了解することが出来ない。「吾々、無産階級は……」と云う。既に、それが、一・・・ 黒島伝治 「選挙漫談」
・・・彼には清三がいろ/\むずかしいことを知って居り、難解な外国の本が読めるのが、丁度自分にそれだけの能力が出来たかのように嬉しいのだった。そして、ひまがあると清三のそばへ寄って行って話しかけた。「独逸語。」「……独逸語のうちでもこれは大・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・ 此処は当時明や朝鮮や南海との公然または秘密の交通貿易の要衝で大富有の地であった泉州堺の、町外れというのでは無いが物静かなところである。 夕方から零ち出した雪が暖地には稀らしくしんしんと降って、もう宵の口では無い今もまだ断れ際にはな・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
出典:青空文庫