・・・もしも温度の影響が大きくその他の微細な雑多の影響が収斂しなかったら、ゼンマイ秤で目方を測るのは瓢箪で鯰を捕える以上の難事であろう。今仮りに更に一歩を譲ってこれらの困難を切り抜けられるとして見ても、まだ弾性体に通有な「履歴の影響」という厄介な・・・ 寺田寅彦 「方則について」
・・・しく生茂った父が屋敷の庭をさまよって、或る夏の夕方に、雑草の多い古池のほとりで、蛇と蛙の痛しく噛み合っている有様を見て、善悪の判断さえつかない幼心に、早くも神の慈悲心を疑った……と読んで行く中に、私は何時となく理由なく、私の生れた小石川金富・・・ 永井荷風 「狐」
・・・Henri Bordeaux という人の或る旅行記の序文に、手荷物を停車場に預けて置いたまま、汽車の汽笛の聞える附近の宿屋に寝泊りして、毎日の食事さえも停車場内の料理屋で準え、何時にても直様出発し得られるような境遇に身を置きながら、一向に巴・・・ 永井荷風 「銀座」
昭和二年の雨ばかり降りつづいている九月の末から十月のはじめにかけて、突然僕の身の上に、種類のちがった難問題が二つ一度に差し迫って来た。 難事の一は改造社という書肆が現代文学全集の第二十二編に僕の旧著若干を採録し、九月の・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・そういう時期が何時かあったらどうするという意味ではないが、まああると仮定して御覧なさい。そうしたらそういう時期こそ本当の独立独行という言葉の適当に使える時期じゃないでしょうか。人から月給を貰う心配もなければ朝起きて人にお早うと言わなければ機・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・第一、馬車は何時に出るか聞いて貰いたい」「馬車でどこへ行く気だい」「どこって熊本さ」「帰るのかい」「帰らなくってどうする。こんな所に馬車馬と同居していちゃ命が持たない。ゆうべ、あの枕元でぽんぽん羽目を蹴られたには実に弱ったぜ・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・けれどもそれに逢着するのは難中の難事である。我輩の先生の処が一間あいておれば置てもらうのだけれども、それは間がないのだからできない相談だ。こう云う時になると西洋の新聞は便利だ。万事広告の世界なのだから下宿の広告がいくらでもある。我輩が以前下・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・その日もやはり何時も通りに、ふだんの散歩区域を歩いていた。私の通る道筋は、いつも同じように決まっていた。だがその日に限って、ふと知らない横丁を通り抜けた。そしてすっかり道をまちがえ、方角を解らなくしてしまった。元来私は、磁石の方角を直覚する・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・若子を何時までも友達にして下さってね、私の母の処へも時々遊びに行って下さい。よいですか。』 私は唯胸が痛くなるばかりで、御返辞さえ出来ないのでした。『兄さん、』と、若子さんは御呼掛でしたが、辛ッと私に聞こえる位の声で、『あのう、阿母・・・ 広津柳浪 「昇降場」
・・・ いわゆる洋学校は人を導くべき人才を育する場所なれば、もっぱら洋書を研究し、難字をも読み、難文をも翻訳して、後進の便利を達すべきなり。方今の有様にては、読書家も少なく翻訳書もはなはだ乏しければ、国内一般に風化を及ぼすは、三、五年の事・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
出典:青空文庫