・・・三重吉はにやにやしている。 それから全体どこで買うのかと聞いて見ると、なにどこの鳥屋にでもありますと、実に平凡な答をした。籠はと聞き返すと、籠ですか、籠はその何ですよ、なにどこにかあるでしょう、とまるで雲を攫むような寛大な事を云う。でも・・・ 夏目漱石 「文鳥」
・・・ 吉里はにやにや笑ッていて、それで笑いきれないようで、目を坐えて、体をふらふらさせて、口から涎を垂らしそうにして、手の甲でたびたび口を拭いている。「此糸さん、早くおくれッたらよ、盃の一つや半分、私しにくれたッて、何でもありゃアしなか・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・ すると赤つらの山男は、もう森の入口に出ていて、にやにや笑って云いました。「あわもちだ。あわもちだ。おらはなっても取らないよ。粟をさがすなら、もっと北に行って見たらよかべ。」 そこでみんなは、もっともだと思って、こんどは北の黒坂・・・ 宮沢賢治 「狼森と笊森、盗森」
・・・けれども上海と東京ということは一郎も誰も何のことかわかりませんでしたからお互しばらく顔を見合せてだまっていましたら又三郎がもう大得意でにやにや笑いながら言ったのです。「僕たちの仲間はみんな上海と東京を通りたがるよ。どうしてって東京には日・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・ 二人は顔を見合せましたら、燈台守は、にやにや笑って、少し伸びあがるようにしながら、二人の横の窓の外をのぞきました。二人もそっちを見ましたら、たったいまの鳥捕りが、黄いろと青じろの、うつくしい燐光を出す、いちめんのかわらははこぐさの上に・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・ 尖った鬼歯を現してにやにやしながら顔を見た。つづけて、「いよいよ二三年だよ」 自分はまだ椅子にもかけていない。メリンスの小布団のついた椅子にかけながら、「何なんです?」と云った。「書いてるじゃないか」「何を?」・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・それが本性を発揮し私の夢の裡でまで彼那勢いで駈け出したのかと思ったら、ひとりでににやにやした。烏のことは見当がつかない。空気銃を持っている子供を、慶応のグラウンドの横できのう見た故だろうか。 穏かな、静かな日だ。 戸外が静かな通り、・・・ 宮本百合子 「静かな日曜」
・・・飲みすぎか、怠けぐらいのところらしい幸治がにやにやしながら、「貧乏ひまなしでやっていますとたまには、病気もなかなかいいところがあるですよ」 エアシップの灰をおとしながらしかつめらしく云った。「妙なもので公然と欠勤した日の味はまた・・・ 宮本百合子 「二人いるとき」
・・・ 始終にやにや笑っていた主人の大野が顔を蹙めた。 戸川は話し続けた。「どうも富田君は交っ返すから困る。兎に角それから下女が下女でなくなった。宮沢は直ぐに後悔した。職務が職務なのだから、発覚しては一大事だと思ったということは、僕にも察・・・ 森鴎外 「独身」
・・・彼はにやにやしながら云った。「にじりつけるか。勘が引受けよったのやないか。勘に訊いてみい、勘に。」「連れて来んもの、誰が引受けるぞ。」「そりゃお前、お前とこが株内やで俺が連れて行くのはあたり前の話や。」「お前株内や株内や云う・・・ 横光利一 「南北」
出典:青空文庫