・・・中に兜の鉢を伏せたらんがごとき山見え隠れするを向いの商人体の男に問う。何とか云いしも車の音に消されて判らず。再三問いかえせしも訛の耳なれぬ故か終にわからず。気の毒にもあり可笑しくもあれば終にそのままに止みぬ。後にて聞けば甲山と云う由。あたり・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・しかしまた元来少しも狂気でないものを、誤って狂気と認定されて今日に至ったものかもしれない。万一そうであったとすると象にとってははなはだしき迷惑な事であったと言わなければならない。 この問題に対してなんらかの判断を下しうるためにはまず第一・・・ 寺田寅彦 「解かれた象」
・・・何故だか分らない。人体の周囲の空間が大きいせいかもしれない。 山下氏の絵は、いつでも気持のいい絵である。この人の絵で気持の悪いという絵を自分はかつて見た事がない。この人の絵は、どこかしらルノアルとモネエと両方を想い出させるようなところの・・・ 寺田寅彦 「二科会展覧会雑感」
・・・詩形についても同様の事が言われる。人体の解剖学的構造は二千年前の先祖とほとんど同じでも人間の思想は決して同じところにとどまっていないのである。それと同じように、詩形は固定していてもそれに盛らるる精神的内容はいくらでも進化しうるのである。・・・ 寺田寅彦 「俳句の精神」
・・・ 火山を人体の病気にたとえた後に、物の大きさの相対性に論及し、何物も全和に対しては無に等しいと宣言している。 また火山の生因として海水が地下に滲透し、それが噴火山の根を養うという現代でもしばしば繰り返される仮説もまたその端緒をルクレ・・・ 寺田寅彦 「ルクレチウスと科学」
・・・世間は学校の採点を信ずるごとく、評家を信ずるの極ついにその落第を当然と認定するに至るだろう。 ここにおいて評家の責任が起る。評家はまず世間と作家とに向って文学はいかなる者ぞと云う解決を与えねばならん。文学上の述作を批判するにあたって批判・・・ 夏目漱石 「作物の批評」
・・・でもいずれそのうち私が自転車で御宅へ伺いましょう、そしていっしょに散歩でもしましょう、――サイクリストに向っていっしょに散歩でもしましょうとはこれいかに、彼は余を目してサイクリストたるの資格なきものと認定せるなり このうつくしき令嬢と「・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・しかしながら、人体の感覚美をあらわすためには、是非共裸体にしなければならん、この不体裁を冒さねばならん事となります。衝突はここに存するのです。この衝突は文明が進むに従って、ますます烈敷なるばかりでけっして調停のしようがないにきまっています。・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・出たのはいつごろでしたか、私は担任者であったけれども病気をしたからあるいはその病気中かも知れず、または病気中でなくって、私が出して好いと認定したのかも知れません。とにかくその批評が朝日の文芸欄に載ったのです。すると「日本及び日本人」の連中が・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・霊心の位するところは人体の頭脳にあり。然らばすなわち人として脩心の学を勤めざる者は、なお首なき人の如し。第八、経済学 人間衣食住の需用を論じこれを製しこれを易え、これを集め、これを散じ、人の知識礼義を進めて需用の物を饒にする・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
出典:青空文庫