・・・ 古い物理書などに書いてあるとおりガラスのフィンガーボールの縁を指頭で摩擦して楽音を発せしめる場合に、指を水でぬらしておいて摩擦する事になっているが、現在の場合でも接触面が水でぬれている事が必要条件であるらしく見える。これも充分に実験を・・・ 寺田寅彦 「日常身辺の物理的諸問題」
・・・――当人ももうだいぶ好くなったから明日あたりから床を上げましょうとさえ言ったのに――今、眼の前に露子の姿を浮べて見ると――浮べて見るのではない、自然に浮んで来るのだが――頭へ氷嚢を載せて、長い髪を半分濡らして、うんうん呻きながら、枕の上への・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・血の如き葡萄の酒を髑髏形の盃にうけて、縁越すことをゆるさじと、髭の尾まで濡らして呑み干す人の中に、彼は只額を抑えて、斜めに泡を吹くことが多かった。山と盛る鹿の肉に好味の刀を揮う左も顧みず右も眺めず、只わが前に置かれたる皿のみを見詰めて済す折・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・夏に銅の壺に水を入れ壺の外側を水でぬらしたきれで固くつつんでおくならばきっとそれは冷えるのだ。なんべんもきれをとりかえるとしまいにはまるで氷のようにさえなる。このように水は物をつめたくする。また水はものをしめらすのだ。それから水はいつでも低・・・ 宮沢賢治 「学者アラムハラドの見た着物」
・・・坂の方から門内へ流れる秋のつめたい雨水は、傾斜にしたがって犬小舎の底をも洗い、敷き藁をじっとりぬらしている。 ぶちまだらの犬は首から鎖をたらしたまま、自分の小舎の屋根の上へ四つ足で不安な恰好に登って立っていて、その不安さがやりきれぬとい・・・ 宮本百合子 「犬三態」
・・・歴史のありのままの表現で語れば、日本のおくれた資本主義は、日清戦争から十年後に経たこの侵略戦争で再び中国の国土を血ぬらし殖民地化しながらその興隆期に入ったわけであった。ウラルの彼方風あれて、とオルガンに合わせて声高くうたっていた若い母に、そ・・・ 宮本百合子 「菊人形」
・・・手拭を引さいた細紐を帯がわりにして、縞の着物を尻はし折りにした与太者の雑役が、ズブズブに濡らした雑巾で出来るだけゆっくり鉄格子のこま一つ一つを拭いたりして動いている。 夜前、神明町辺の博士の家とかに強盗が入ったのがつかまった。看守と雑役・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・それは、自分の生活とはきりはなして雨を眺め、春雨はやさしく柳の糸をぬらしています云々のいわゆる美文的作文である。 然し、この美文的作文が自然描写の場合には非常に多くのパーセントを占めている。そのことは過去の文学の大きい一つの特徴として、・・・ 宮本百合子 「自然描写における社会性について」
・・・足をピチャピチャにぬらして風邪を引いたりしないように! ひどく揺れる自動車にのったり、馬にのったり、水浴びをしたり馴れない労働をしてはいけない! いい加減な手当をしてはいけない! きっちりと丁字帯をあてなさい! 昔の人や、未開な・・・ 宮本百合子 「ソヴェト映画物語」
・・・女君は額髪をぬらしたまま被衣をかけて身じろぎもしないでいらっしゃるので乳母は今更のように悪い事をしたと思ってそっと几帳の間から中をのぞいてはホッと吐息をついて居た。日暮方、明障子を細めに小さい手がのぞいてパタリとかるくたおれたもの音にそれと・・・ 宮本百合子 「錦木」
出典:青空文庫