・・・ 神楽坂辺をのすのには、なるほどで以て事は済むのだけれども、この道中には困却した。あまつさえ……その年は何処も陽気が悪かったので、私は腹を痛めていた。祝儀らしい真似もしない悲しさには、柔い粥とも誂えかねて、朝立った福井の旅籠で、むれ際の・・・ 泉鏡花 「栃の実」
・・・お蔭で心持好く手足を伸すよ、姐さんお前ももう休んでおくれ。」「はい、難有うございます、それでは。」 と言って行こうとしましたが、ふと坐り直しましたから、小宮山は、はてな、柏屋の姐さん、ここらでその本名を名告るのかと可笑しくもございま・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・と、村人はいって、その子供のめんどうをよく見てやったのす。 やがて春がきて、暖かになると、牛女の姿は、その雪とともに消えてしまったのでありました。 こうして、くる年も、くる年も、西の山に牛女の黒い姿は現れました。そのうちに、子供は大・・・ 小川未明 「牛女」
なんにも書くな。なんにも読むな。なんにも思うな。ただ、生きて在れ! 太古のすがた、そのままの蒼空。みんなも、この蒼空にだまされぬがいい。これほど人間に酷薄なすがたがないのだ。おまえは、私に一箇の銅貨を・・・ 太宰治 「めくら草紙」
・・・佐藤、葛西、両氏に於いては、自由などというよりは、稀代のすねものとでも言ったほうが、よりよく自由という意味を言い得て妙なふうである。ダス・ゲマイネは、菊池寛である。しかも、ウール・シュタンドにせよ、ダス・ゲマイネにせよ、その優劣をいますぐこ・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・ 善ニョムさんは、片手を伸すと、一握りの肥料を掴みあげて片ッ方の団扇のような掌へ乗せて、指先で掻き廻しながら、鼻のところへ持っていってから、ポンともとのところへ投げた。「いい出来だ、これでお天気さえよきゃあ豊年だぞい」 善ニョム・・・ 徳永直 「麦の芽」
・・・私に人に饋ものすべからず。 我さとの親の方に私して夫の方の親類を次にす可らず、正月節句などにも云々、是れは前にも申す通り表面の儀式には行わる可きなれども、人情の真面目に非ず。又夫の許さゞるには何方へも行く可らずとは何事ぞ。婦人の・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・「何処さ行ぐのす。」そうだ、釜淵まで行くというのを知らないものもあるんだな。〔釜淵まで、一寸三十分ばかり。〕おとなしい新らしい白、緑の中だから、そして外光の中だから大へんいいんだ。天竺木綿、その菓子の包みは置いて行ってもいい。雑嚢や何か・・・ 宮沢賢治 「台川」
・・・どうせ電車にのって下町に出る位なら、賑かな人通りをぶらつこうと云う位なら、銀座まで一息にのす。歩く道なら大学赤門前から三丁目がある。電車のルートの工合で、動き廻る道筋を制御される我々は、東京の他の沢山の隅々を、何か特別なきっかけのない限り外・・・ 宮本百合子 「茶色っぽい町」
・・・のものを「十分の十」のすがたに返し「正しいすがたの中から真に価値あるものを学びとるという仕事は」現代文化の最高水準に立たなければならぬプロレタリア文学の重大な課題となるだろう、といっている。 プロレタリア・ルネッサンスというような表現は・・・ 宮本百合子 「文学に関する感想」
出典:青空文庫