・・・夢の話しはまた延びる。 宣徳の香炉に紫檀の蓋があって、紫檀の蓋の真中には猿を彫んだ青玉のつまみ手がついている。女の手がこの蓋にかかったとき「あら蜘蛛が」と云うて長い袖が横に靡く、二人の男は共に床の方を見る。香炉に隣る白磁の瓶には蓮の花が・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・波の如くに延びるよと見る間に、君とわれは腥さき縄にて、断つべくもあらぬまでに纏わるる。中四尺を隔てて近寄るに力なく、離るるに術なし。たとい忌わしき絆なりとも、この縄の切れて二人離れ離れにおらんよりはとは、その時苦しきわが胸の奥なる心遣りなり・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・すると牧君は自分の方は伸ばせば幾らでも伸びると気丈夫な返事をしてくれたので、たちまち親船に乗ったような心持になって、それじゃア少し伸ばしていただきたいと頼んでおきました。その結果として冒頭だか序論だかに私の演説の短評を試みられたのはもともと・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・炎は尺を計って左へ左へと延びる。たまたま一陣の風吹いて、逆に舌先を払えば、左へ行くべき鋒を転じて上に向う。旋る風なれば後ろより不意を襲う事もある。順に撫でてを馳け抜ける時は上に向えるが又向き直りて行き過ぎし風を追う。左へ左へと溶けたる舌は見・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・今夜の出発が延ばされないものか。延びるような気がする。も一度逢いに来てくれるような気がする。きッと逢いに来る。いえ、逢いには来まい。今夜ぜひ夜汽車で出発く人が来そうなことがない。きッと来まい。汽車が出なければいい。出ないかも知れぬ。出ないよ・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・そしてジョバンニは青い琴の星が、三つにも四つにもなって、ちらちら瞬き、脚が何べんも出たり引っ込んだりして、とうとう蕈のように長く延びるのを見ました。またすぐ眼の下のまちまでがやっぱりぼんやりしたたくさんの星の集りか一つの大きなけむりかのよう・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・それは自分の両手をひろげて見ると両側に八本になって延びることでわかりました。「ああなさけない。おっかさんの云うことを聞かないもんだからとうとうこんなことになってしまった。」タネリは辛い塩水の中でぼろぼろ涙をこぼしました。犬神はおかしそうに口・・・ 宮沢賢治 「サガレンと八月」
・・・こういう周囲の下で自由であろうとする気持、伸びるだけ伸び、飛び立ちたい心もちでいる娘の気持は何を頼りに拡がってゆくのだろう。そこには、ここでいわなくてもすべての人にわかっている悲しい広い病毒に飾られた道がある。そして今日どれほどの若い女性た・・・ 宮本百合子 「明日をつくる力」
・・・ 日一日、時一時、背丈の延びると共に心も育って行く。いかほどの喜びを以てそれをながめて居る事であろう。いつか子の背は、我よりも高く、その四肢は、若く力強く、幾年かの昔、自分の持って居た若き誇り、愛情をその体にこめてある事と想うて居る。・・・ 宮本百合子 「大いなるもの」
・・・そういう校長を絶対勢力として戴いて、どうして教育の本質を向上させ得るだろう。伸びるためには頭の上がからりとしていなくてはならない。 若い婦人が真の勉強をするためには女子だけの専門学校では駄目である。共学が誠意をもって実行されなくてはなら・・・ 宮本百合子 「女の手帖」
出典:青空文庫