・・・最も卑近な例をあげると、スクリーンの上にコーヒーを飲む場面が映写されるのを見て急に自分もコーヒーが飲みたくなるような場合もあるであろう。 それとほぼ同じようなわけで、もはや青春の活気の源泉の枯渇しかけた老年者が、映画の銀幕の上に活動する・・・ 寺田寅彦 「映画と生理」
・・・道太は東京を立つ時から繃帯をしていた腕首のところが昨日飲みすぎた酒で少し痛みだしていたので、信州で有名な接骨医からもらってきたヨヂュームに似たような薬を塗りながら、「お芳さんの旦那ってどんな人なの」「青物の問屋。なかなか堅いんですの・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・残りのものは一升樽を茶碗飲みにして、準備の出来るのを待って居る騒ぎ。兎や角と暇取って、いよいよ穴の口元をえぶし出したのは、もう午近くなった頃である。私は一同に加って狐退治の現状を目撃したいと云ったけれど、厳しく母上に止められて、母上と乳母の・・・ 永井荷風 「狐」
・・・と髯なき人が葉巻の飲み殻を庭先へ抛きつける。隣りの合奏はいつしかやんで、樋を伝う雨点の音のみが高く響く。蚊遣火はいつの間にやら消えた。「夜もだいぶ更けた」「ほととぎすも鳴かぬ」「寝ましょか」 夢の話しはつい中途で流れた。三人・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・ ビールを飲みながら、懐から新聞紙を出して読み始めた。新聞紙は、五六種あった。彼は、その五つ六つの新聞から一つの記事を拾い出した。「フン、棍棒強盗としてあるな。どれにも棍棒としてある。だが、汽車にまで棒切れを持ち込みゃしないぜ、附近・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・其内外の趣意を濫用して、男子の戸外に奔走するは実業経営社会交際の為めのみに非ず、其経営交際を名にして酒を飲み花柳に戯るゝ者こそ多けれ。朝野の貴顕紳士と称する俗輩が、何々の集会宴会と唱えて相会するは、果して実際の議事、真実の交際の為めに必要な・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・――一滴もいけなかった私が酒を飲み出す、子供の時には軽薄な江戸ッ児風に染まって、近所の女のあとなんか追廻したが、中年になって真面目になったその私が再び女に手を出す――全く獣的生活に落ちて、終には盗賊だって関わないとまで思った。いや、真実なん・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・第一余は泳ぎを知らぬのであるから水葬にせられた暁にはガブガブと水を飲みはしないかと先ずそれが心配でならぬ。水は飲まぬとした所で体が海草の中にひっかかっていると、いろいろの魚が来て顔ともいわず胴ともいわずチクチクとつつきまわっては心持が悪くて・・・ 正岡子規 「死後」
・・・ さてこんな工合で、あまがえるはお代りお代りで、沢山お酒を呑みましたが、呑めば呑むほどもっと呑みたくなります。 もっとも、とのさまがえるのウィスキーは、石油缶に一ぱいありましたから、粟つぶをくりぬいたコップで一万べんはかっても、一分・・・ 宮沢賢治 「カイロ団長」
・・・すると、勇吉は、炉ばたでちびちび酒を飲みながら、「そげえに若えもん叱るでねえよ、今に何でもはあ、ちゃんちゃんやるようになる、おきいはねんねだごんだ」「何がねんねだ! ひとが聞いたらふき出すっぺえ。ねんね嫁け! お前」 きいはつら・・・ 宮本百合子 「田舎風なヒューモレスク」
出典:青空文庫