・・・厨川博士の「近代恋愛論」以来、一般に青年男女の心は恋愛至上主義に傾いていますから。……勿論近代的恋愛でしょうね? 保吉 さあ、それは疑問ですね。近代的懐疑とか、近代的盗賊とか、近代的白髪染めとか――そう云うものは確かに存在するでしょう。・・・ 芥川竜之介 「或恋愛小説」
・・・ 同仁病院長山井博士の診断に従えば、半三郎の死因は脳溢血である。が、半三郎自身は不幸にも脳溢血とは思っていない。第一死んだとも思っていない。ただいつか見たことのない事務室へ来たのに驚いている。―― 事務室の窓かけは日の光の中にゆっく・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・彼がやや赤面しながらそこらに散らばっている白紙と鉛筆とを取り上げるのを見た父は、またしても理材にかけての我が子の無能さをさらけ出したのを悔いて見えた。けれども息子の無能な点は父にもあったのだ。父は永年国家とか会社銀行とかの理財事務にたずさわ・・・ 有島武郎 「親子」
・・・そこを覗いているのだが、枝ごし葉ごしの月が、ぼうとなどった白紙で、木戸の肩に、「貸本」と、かなで染めた、それがほのかに読まれる――紙が樹の隈を分けた月の影なら、字もただ花と莟を持った、桃の一枝であろうも知れないのである。 そこへ……小路・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・一人は、今は小使を志願しても間に合わない、慢性の政治狂と、三個を、紳士、旦那、博士に仕立てて、さくら、というものに使って、鴨を剥いで、骨までたたこうという企謀です。 前々から、ちゃら金が、ちょいちょい来ては、昼間の廻燈籠のように、二階だ・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・助手三人と、立ち会いの医博士一人と、別に赤十字の看護婦五名あり。看護婦その者にして、胸に勲章帯びたるも見受けたるが、あるやんごとなきあたりより特に下したまえるもありぞと思わる。他に女性とてはあらざりし。なにがし公と、なにがし侯と、なにがし伯・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・が、砂浜に鳥居を立てたようで、拝殿の裏崕には鬱々たるその公園の森を負いながら、広前は一面、真空なる太陽に、礫の影一つなく、ただ白紙を敷詰めた光景なのが、日射に、やや黄んで、渺として、どこから散ったか、百日紅の二三点。 ……覗くと、静まり・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・ と載せたまま白紙を。「お持ちなさいまし。」 あなたの手で、スッと微かな、……二つに折れた半紙の音。「は、は。」 と額に押頂くと、得ならず艶なるものの薫に、魂は空になりながら、恐怖と恥とに、渠は、ずるずると膝で退った。・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・丁度上田万年博士が帰朝したてで、飛白の羽織に鳥打帽という書生風で度々遊びに来ていた。緑雨は相応に影では悪語をいっていたが、それでも新帰朝の秀才を竹馬の友としているのが万更悪い気持がしなかったと見えて、咄のついでに能く万年がこういったとか、あ・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・ 二十五年前には外山博士が大批評家であって、博士の漢字破りの大演説が樗牛のニーチェ論よりは全国に鳴響いた。博士は又大詩人であって『死地に乗入る六百騎』というような韻文が当時の青年の血を湧かした。 二十五年前には琴や三味線の外には音楽・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
出典:青空文庫