・・・ 最近の新聞紙は、三山博士の子供が三人共家出をして苦しんでいるという事実を伝えている。その記事に依ると、本当の母親は小さいうちに死んでしまって、継母の手に育ったという。博士は三人の子供が三人共学問が嫌いで、性質が悪くて家出をしたように云・・・ 小川未明 「愛に就ての問題」
・・・名刺には、東京の住所と文学博士山本誠という名が書いてありました。「私は、古代民族の歴史を研究しているので、こうして、方々を歩いています。」といいました。 信吉は、自分の持っているものが、いつか学問のうえに役立てば、ひとりこの人のみの・・・ 小川未明 「銀河の下の町」
・・・そして、白紙に戻って、はじめて虚無の強さよりの「可能性の文学」の創造が可能になり、小説本来の面白さというものが近代の息吹をもって日本の文壇に生れるのではあるまいか。 織田作之助 「可能性の文学」
・・・…… ――其の後、売薬規則の改備によって、医師の誹謗が禁じられると、こんどは肺病全快写真を毎日掲載して、何某博士、何某医院の投薬で治らなかった病人が、川那子薬で全快した云々と書き立てた。世の人心を瞞着すること、これに若くものはない。・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・ ところが、半時間ばかりたつと、武田さんははっと眼を覚して、きょとんとしていたが、やがて何思ったのか、白紙のままの原稿用紙を二十枚ばかり封筒に入れると、「さア、行こう」 と、起ち上って出て行った。随いて行くと、校正室へはいるなり・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・「これは××博士の法だよ」と母が言った。釦の多いフロックコートを着たようである。しかし、少し動いてもすぐ脱れそうで不安であった。―― 何よりも母に、自分の方のことは包み隠して、気強く突きかかって行った。そのことが、夢のなかのことなが・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・ 綿貫博士がそばで皮肉を言わないだけがまだしも、先生がいると問答がことさらにこみ入る。「わかったとも、大わかりだ、」と楠公の社に建てられて、ポーツマウス一件のために神戸市中をひきずられたという何侯爵の銅像を作った名誉の彫刻家が、子供・・・ 国木田独歩 「号外」
・・・邦文には吉田博士の『倫理学史』、三浦藤作の『輓近倫理学説研究』等があるが、現代の倫理学、特に現象学派の倫理学の評述にくわしいものとしては高橋敬視の『西洋倫理学史』などがいいであろう。しかしある人の倫理学はその人の一般哲学根拠の上に築かれない・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・西田博士の『善の研究』などもそうして読んだ。とぼとぼと瞬く灯の下で活字を追っていると、窓の外を夜遊びして帰った寮生の連中が、「ローベンはよせ」「糞勉強はやめろ」などと怒鳴りながら通って行く。その声を聞きつつ何か勝利感に似たものをハッキリと覚・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・ かつてのかゝりつけの安斎医学博士の栄養説によると、台湾に住んでいてわざ/\内地米を取りよせて食っていた者があったそうだが、内地米が如何にすぐれていようともそんなのは栄養上からよくないそうである。人間もやはり自然界の一存在で、その住んで・・・ 黒島伝治 「外米と農民」
出典:青空文庫