・・・によきアカデミズムがあったのなら、どうしてケーベル博士は大学の教授控室の空気を全く避けとおしたということが起ったろう。夏目漱石は、学問を好んだし当時の知識人らしく大学を愛していた。彼に好意をもって見られた『新思潮』は久米、芥川その他の赤門出・・・ 宮本百合子 「新しいアカデミアを」
・・・ やがて、彼は側の小卓子の引き出しから一枚の白紙と鉛筆をとり出した。 さほ子が小一時間の後、手を拭き拭き台所から戻って来ると、彼は黙って其紙片を出して見せた。彼女は莞爾ともしないで眼を通した。彼が新聞に出そうと思った広告の下書きであ・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・ L、F、H子供らしい真剣で白紙の上に私は貴方の名と自分の名とを書きました。細い桃色鉛筆で奇怪な分数を約すように同じ文字を消して行くRとR、UとU、KとKと。残った綴字はいくつあるかL、・・・ 宮本百合子 「海辺小曲(一九二三年二月――)」
・・・その年の十二月二十日すぎの或る夜、夕刊に、宮本顕治が一年間の留置場生活から白紙のまま市ヶ谷刑務所へ移されたというニュースが出ていたと、一人の友人が知らせてくれた。作者はそのとき、思わずああ! と立ち上って、殺されなかった! とささやいた。一・・・ 宮本百合子 「解説(『風知草』)」
・・・ 愛らしいわが原稿紙愛らしいわが 原稿紙おまえが、白紙に青の罫を持ちその罫を一面の文字で埋めて居るのを見ると私の心はおどる。朝、さっぱりと拭き浄められたマホガニー色の机の上で、又は、輝やいた日の午後・・・ 宮本百合子 「五月の空」
・・・将来についても現実的に白紙の気持を抱かれたと思う。 それはまことに尤もなのだし、本人として外側から及ぼすどんな力も願ってはいなかったのだけれども、それでも先生の聰明な如才なさのうちに閃くように自身の未来を空白として感じとることは苦しかっ・・・ 宮本百合子 「時代と人々」
・・・一年の警察生活で宮本は白紙のまま起訴された。一週間に一遍ずつ市ヶ谷に面会にゆくことが日課になった。宮本がともかく警察で殺されないで市ヶ谷に行ったということは私を大変安心させた。小説の書ける気持になった。小説「乳房」を中央公論に発表した。この・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・上から見下すと、只一様に白紙のように議席に置かれていたのは、参考地図であった。米内首相は降壇のときわざわざケースに納めて戻って来た眼鏡をまたかけて、地図をひろげたが、隣の桜内蔵相は、拡げる場所が狭苦しいのか、体を捩って首相のを覗き込んだ。そ・・・ 宮本百合子 「待呆け議会風景」
・・・言葉をかえて云えば、今日の若い娘たちは、菊池寛の、娘は白紙がよいというモラルに一斉の抗議を表しながら、一方にそれをよしとする男を余りはっきり目撃することで動揺し、不安になり、結婚に対しても職業に対しても、あぶはちとらずな気持の地獄におち入る・・・ 宮本百合子 「若い娘の倫理」
・・・木村よりは三つ四つ歳の少い法学博士で、目附鼻附の緊まった、余地の少い、敏捷らしい顔に、金縁の目金を掛けている。「昨日お命じの事件を」と云いさして、書類を出す。課長は受け取って、ざっと読んで見て、「これで好い」と云った。 木村は重荷を・・・ 森鴎外 「あそび」
出典:青空文庫