・・・中は白紙である。 はっと思ったとたんに、頭を強く打たれた。又驚く間もなく、白紙の上に血がたらたらと落ちた。背後から一刀浴せられたのである。 夜具葛籠の前に置いてあった脇差を、手探りに取ろうとする所へ、もう二の太刀を打ち卸して来る。無・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・、とく、弟の初五郎をおしおきにしていただきたい、実子でない長太郎だけはお許しくださるようにというだけの事ではあるが、どう書きつづっていいかわからぬので、幾度も書きそこなって、清書のためにもらってあった白紙が残り少なになった。しかしとうとう一・・・ 森鴎外 「最後の一句」
・・・そして、戻るとき戸棚の抽出しから白紙を出して、一円包んで出て来ると安次に黙って握らせた。「あかんのや、あかんのや、もうそんなことして貰うたて。」と安次は云って押し返した。 しかし、お留は無理に紙幣を握らせた。「薬飲んでるのか?」・・・ 横光利一 「南北」
・・・「じゃ、二十一歳の博士か。そんな若い博士は初めてでしょう。」「そんなことも云ってました。通った論文も、アインシュタインの相対性原理の間違いを指摘したものだと云ってましたがね。」 異才の弟子の能力に高田も謙遜した表情で、誇張を避け・・・ 横光利一 「微笑」
・・・ 先生の博士問題のごときも、これを「奇を衒う」として非難するのは、あまりに自己の卑しい心事をもって他を忖度し過ぎると思う。先生は博士制度が世間的にもまた学界のためにも非常に多くの弊害を伴なう事実に対して怒りを感じた。その内にひそむ虚偽、・・・ 和辻哲郎 「夏目先生の追憶」
出典:青空文庫