・・・それでは氷山さんの伯母さんでも」と言ってききません。「伯母さんだって世帯人だもの、今頃は御飯時で忙しいだろうよ」と言ったものの、あまり淋しがるので弟達を呼ぶことにしました。 弟達が来ますと、二人に両方の手を握らせて、暫くは如何にも安心し・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・ 遠い物干台の赤い張物板ももう見つからなくなった。 町の屋根からは煙。遠い山からは蜩。 手品と花火 これはまた別の日。 夕飯と風呂を済ませて峻は城へ登った。 薄暮の空に、時どき、数里離れた市で花火をあ・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・そして薄暮の山の中へ下りてしまったのである。何のために? それは私の疲労が知っている。私は腑甲斐ない一人の私を、人里離れた山中へ遺棄してしまったことに、気味のいい嘲笑を感じていた。 樫鳥が何度も身近から飛び出して私を愕ろかした。道は小暗・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・ 堯はそう思いながら自分の部屋に目を注いだ。薄暮に包まれているその姿は、今エーテルのように風景に拡がってゆく虚無に対しては、何の力でもないように眺められた。「俺が愛した部屋。俺がそこに棲むのをよろこんだ部屋。あのなかには俺の一切の所・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・あるときは岬の港町へゆく自動車に乗って、わざと薄暮の峠へ私自身を遺棄された。深い溪谷が闇のなかへ沈むのを見た。夜が更けて来るにしたがって黒い山々の尾根が古い地球の骨のように見えて来た。彼らは私のいるのも知らないで話し出した。「おい。いつ・・・ 梶井基次郎 「闇の絵巻」
・・・ 母と、母の姉にあたる伯母が来あわしている椽側で云った。「われも、子供のくせに、猪口才げなことを云うじゃないか。」いまだに『鉄砲のたま』をよく呉れる伯母は笑った。「二十三やかいで嫁を取るんは、まだ早すぎる。虹吉は、去年あたりから、や・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
・・・ 二十六日、枝幸丸というに乗りて薄暮岩内港に着きぬ。この港はかつて騎馬にて一遊せし地なれば、我が思う人はありやなしや、我が面を知れる人もあるなれど、海上煙り罩めて浪もおだやかならず、夜の闇きもたよりあしければ、船に留まることとして上陸せ・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・「小山さん、お客さま」 と看護婦が声を掛けに来た。思いがけない宗太の娘のお玉がそこへ来てコートの紐を解いた。「伯母さんはまだお夕飯前ですか」とお玉が訊いた。「これからお膳が出るところよのい」とおげんは姪に言って見せた。「・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・みると薄暮の中庭で、女房と店の主人が並んで立って、今しも女房が主人に教えられ、最初の一発を的に向ってぶっ放すところであった。女房の拳銃は火を放った。けれども弾丸は、三歩程前の地面に当り、はじかれて、窓に当った。窓ガラスはがらがらと鳴ってこわ・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・伯父さんでも、伯母さんでも、ずいぶん偉いわ。とても、頭があがらない。はじめから、そうなのよ。あたし、ひとりが、劣っているの。そんなに生れつき劣っている子が、みんなに温く愛されて、ひとり、幸福にふとっているなんて、あたし、もうそんなだったら、・・・ 太宰治 「火の鳥」
出典:青空文庫