・・・奥に松山を控えているだけこの港の繁盛は格別で、分けても朝は魚市が立つので魚市場の近傍の雑踏は非常なものであった。大空は名残なく晴れて朝日麗かに輝き、光る物には反射を与え、色あるものには光を添えて雑踏の光景をさらに殷々しくしていた。叫ぶもの呼・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・しかし反省すればこれは不思議なことである。意志決定の際、われわれはさまざまの動機の中から一つの動機を選択してこれを目標としたのだ。しかしこの際それらの動機がそれぞれの強さで存在せぬということをわれわれはその瞬間に企てることはできない。故に事・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・公園のみは寒気強きところなれば樹木の勢いもよからで、山水の眺めはありながら何となく飽かぬ心地すれど、一切の便利は備わりありて商家の繁盛云うばかり無し。客窓の徒然を慰むるよすがにもと眼にあたりしままジグビー、グランドを、文魁堂とやら云える舗に・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
第一章 死生第二章 運命第三章 道徳―罪悪第四章 半生の回顧第五章 獄中の回顧 第一章 死生 一 わたくしは、死刑に処せらるべく、いま東京監獄の一室に拘禁さ・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・しかし、同時に彼は自分に対する反省を感じた。ハッキリ何をしなければならないかとかいうことが分っていながら、ちっともきまらない、あやふやな自分が考えられた。どこかで恵子がこの野良犬のようにほっつき廻っている彼を嘲笑っているように思われた。こう・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・其時自分は目を細くして幾度となく若葉の臭を嗅いで、寂しいとも心細いとも名のつけようのない――まあ病人のように弱い気分になった。半生の間の歓しいや哀しいが胸の中に浮んで来た。あの長い漂泊の苦痛を考えると、よく自分のようなものが斯うして今日まで・・・ 島崎藤村 「朝飯」
・・・急に私は自分を反省する気にもなったし、言葉の上の争いになってもつまらないと思って、それぎり口をつぐんでしまった。 次郎がぷいと表へ出て行ったあとで、太郎は二階の梯子段を降りて来た。その時、私は太郎をつかまえて、「お前はあんまりおとな・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・ 排除のかわりに親和が、反省のかわりに、自己肯定が、絶望のかわりに、革命が。すべてがぐるりと急転廻した。私は、単純な男である。 浪曼的完成もしくは、浪曼的秩序という概念は、私たちを救う。いやなもの、きらいなものを、たんねんに整理して・・・ 太宰治 「一日の労苦」
・・・自分の死が、現代の悪魔を少しでも赤面させ反省させる事に役立ったら、うれしい。」 などと、本当につまらない馬鹿げた事が、その手紙に書かれていました。男の人って、死ぬる際まで、こんなにもったい振って意義だの何だのにこだわり、見栄を張って嘘を・・・ 太宰治 「おさん」
・・・あの人からそう言われてみれば、私はやはり潔くなっていないのかも知れないと気弱く肯定する僻んだ気持が頭をもたげ、とみるみるその卑屈の反省が、醜く、黒くふくれあがり、私の五臓六腑を駈けめぐって、逆にむらむら憤怒の念が炎を挙げて噴出したのだ。ええ・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
出典:青空文庫