・・・私の半生は、ヤケ酒の歴史である。 秩序ある生活と、アルコールやニコチンを抜いた清潔なからだを純白のシーツに横たえる事とを、いつも念願にしていながら、私は薄汚い泥酔者として場末の露地をうろつきまわっていたのである。なぜ、そのような結果にな・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・らだを洗い口を嗽ぎ、岸に近づく舟をめがけて飛び立てば、舟子どもから朝食の奉納があり、新婦の竹青は初い初いしく恥じらいながら影の形に添う如くいつも傍にあって何かと優しく世話を焼き、落第書生の魚容も、その半生の不幸をここで一ぺんに吹き飛ばしたよ・・・ 太宰治 「竹青」
・・・次郎兵衛は奥のしれぬようなぼそぼそ声でおのれの半生を語りだした。語り終えてから涙を一滴、杯の酒のなかに落してぐっと呑みほした。三郎はそれを聞いてしばらく考えごとをしてから、なんだか兄者人のような気がすると前置きをして、それから自身の半生を嘘・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・人の知らぬ熊さんの半生は頼みにならぬ人の心から忘られてしまった。遠くもない墓のしきいに流木を拾うているこのあわれな姿はひしと心に刻まれた。 壮大なこの場の自然の光景を背景に、この無心の熊さんを置いて見た刹那に自分の心に湧いた感じは筆にも・・・ 寺田寅彦 「嵐」
・・・ 私はこのイズムには始めて出会ったので、早速英辞書をあけて調べていると psittaciというのは鸚鵡の類をさす動物学の学名で、これにイズムがついたのは、「反省的自覚なき心の機械的状態」あるいは「鸚鵡のような心的状態」という意味だとある・・・ 寺田寅彦 「鸚鵡のイズム」
・・・これは各自の反省すべき点であろう。可笑しいことにはある第三者から見ると被審査者の方が審査員よりもずっと優れた頭脳の持主であって、そうして提出された論文が審査員諸氏の昔の学位論文よりもずっと立派だと思われる場合においてすらも、審査員諸氏がその・・・ 寺田寅彦 「学位について」
・・・になった今日、デパートの繁盛するのは当然であろう。ただ少数な江戸っ子の敗残者がわざわざ竹仙の染め物や伊勢由のはき物を求めることにはかない誇りを感ずるだけであろう。しかしデパートの品物に「こく」のある品のまれであることも事実である。 明治・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・このように、虐待は繁盛のホルモン、災難は生命の醸母であるとすれば、地震も結構、台風も歓迎、戦争も悪疫も礼賛に値するのかもしれない。 日本の国土などもこの点では相当恵まれているほうかもしれない。うまいぐあいに世界的に有名なタイフーンのいつ・・・ 寺田寅彦 「災難雑考」
・・・しかれども実際は科学者が科学の領域を踏み外す危険を防止するためには、時にこれらの反省的考察が却って必要なるべし。特に予報の問題のごとき場合においては然りと信ず。余が不敏を顧みずここに二、三の問題を提起して批判を仰ぐ所因もまたこれに外ならず。・・・ 寺田寅彦 「自然現象の予報」
・・・ 向こうところに敵なくして剣の力で信仰と権勢を植え付けて行った半生の歴史はそれほど私の頭に今残っていないが、全盛の頂上から一時に墜落してロシアに逃げ延び、再びわずかな烏合の衆を引き連れてノルウェーへ攻め込むあたりからがなんとなく心にしみ・・・ 寺田寅彦 「春寒」
出典:青空文庫