・・・市川房枝女史も、今の日本に三十九名もの婦人代議士の出たことはよろこぶべきよりも、寧ろ一般有権者の政治的水準の低さという点で反省、警戒されなければならないことと注意した。それにつれて、婦人参政の先輩諸国の経験が示された。一九一八年に婦人参政権・・・ 宮本百合子 「一票の教訓」
・・・火野にあってはただ一つその感銘を追求し、人間の生命というものの尊厳にたって事態を検討してみるだけでさえ、彼の人間および作家としての後半生は、今日のごときものとならなかったであろう。人間としての不正直さのためか、意識した悪よりも悪い弱さのため・・・ 宮本百合子 「歌声よ、おこれ」
・・・ピエールとマリヤは科学者としての彼等の後半生の方向をきめたこの重大な相談に、僅十五分を費したきりでした。夫妻がノーベル賞を授与された祝賀会の講演で次のようにのべたピエールの言葉こそ、キュリー夫妻を不滅にした科学の栄光であると思います。「私は・・・ 宮本百合子 「キュリー夫人の命の焔」
・・・ 丹羽氏の場合、私たちの記憶には「或る女の半生」その他のいわゆる系譜的作品の主人公を常に女性において来たこの作者の現実への角度が甦って来る。現実の推移をその受動性のために最もあからさまに映してゆく女性が、系譜的な作品にとって、てっとりば・・・ 宮本百合子 「作品の主人公と心理の翳」
・・・このヴィアルドオ夫人こそ、「彼の半生以上をその傍に根つけにしてしまった」魅力の根源なのであった。既に一八四八年、三十歳のツルゲーネフは家庭の友としてヴィアルドオ夫妻とヨーロッパ旅行をやっている。その前年、ツルゲーネフに少年時代から沁々農奴生・・・ 宮本百合子 「ツルゲーネフの生きかた」
・・・ 店の繁盛なことや、暮しのいいことなどを、しまいに唇の角から唾を飛ばせながら喋る番頭の傍について、在の者のしきたり通り太い毛繻子の洋傘をかついだ禰宜様は、小股にポクポクとついて行ったのである。 海老屋では、家事を万事とりしきってして・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・のだった、 芸術至上主義者であって、そうあり切れなかった彼、強くリアリスティックになれない彼、ロマンティシズム 美を歴史的素材 エキゾティックな世界 奇蹟に見そうとした 「大導寺信輔の半生」これらの作品は凜々とした気魄をたた・・・ 宮本百合子 「「敗北の文学」について」
・・・だのを書いたツルゲーネフが、この作家の奥深い現実への感覚とその文学を理解しなかったのも面白い。半生をパリで暮らしたツルゲーネフには当時のロシアの前進する若い力の表面の動きは外からつかめても、社会の底に湛えられてその支えとなっていたシチェード・・・ 宮本百合子 「翻訳の価値」
・・・と呼んで愛するが、ゴーリキイの半生のさまざまな場面は洋々としたヴォルガの広い流れと共に動いている。冬になって河が氷結すると、ゴーリキイは波止場仕事を失って、或るパン焼工場へ入った。 そこは月三ルーブリで十四時間の労働である。体も辛かった・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの人及び芸術」
・・・作者たちが、そこでめいめいの半生を費しているにもかかわらず、中国の人民というものの理解に絡みつかせているこの自家撞着は、二人の作家が婦人だというような偶然によって説明されつくさないのである。・・・ 宮本百合子 「「揚子江」」
出典:青空文庫