・・・実は木村も前半生では盛んに戦ったのである。しかしその頃から役人をしているので、議論をすれば著作が出来なかった。復活してからは、下手ながらに著作をしているので、議論なんぞは出来ないのである。 その日の文芸欄にはこんな事が書いてあった。・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・ 五条子爵は秀麿の手紙を読んでから、自己を反省したり、世間を見渡したりして、ざっとこれだけの事を考えた。しかしそれに就いて倅と往復を重ねた所で、自分の満足するだけの解決が出来そうにもなく、倅の帰って来る時期も近づいているので、それまで待・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・この年藩政が気に入らぬので辞職した。しかし相談中をやめられて、用人格というものになっただけで、勤め向きは前の通りであった。五十七のとき蝦夷開拓論をした。六十三のとき藩主に願って隠居した。井伊閣老が桜田見附で遭難せられ、景山公が亡くなられた年・・・ 森鴎外 「安井夫人」
・・・対象になったのは道徳的の無知無反省と教養の欠乏とのために、自分のしている恐ろしい悪事に気づかない人でした。彼は自分の手である人間を腐敗させておきながら、自分の罪の結果をその人のせいにして、ただその人のみを責めました。彼は物的価値以外を知らな・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
・・・もしこの種の外形的な努力が反省なしに続けて行かれるならば、日本画は低級芸術として時代の進展から落伍する時機が来るであろう。 この危険を救うものは画家の内部の革新である。芸人をやめて芸術家となることである。 院展日本画の大体としての印・・・ 和辻哲郎 「院展日本画所感」
・・・その具体的な現われは、小田原の城下町の繁盛であった。それは京都の盛り場よりも繁華であったといわれているが、戦乱つづきの当時の状況を考えると、実際にそうであったかもしれない。 この北条早雲の名において、『早雲寺殿二十一条』という掟書が残っ・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・トルストイは前半生において自然の勝利を、自然的欲望の勝利を歌った人である。しかし後半生においては忠実な神の僕であった。ストリンドベルヒは自然主義の精神を最も明らかに体現した人である。しかし晩年には神と神の正義との熱心な信者であった。デカダン・・・ 和辻哲郎 「『偶像再興』序言」
出典:青空文庫