・・・お前たちもお互いに仕合せだった……」私たちが挨拶すると、伯母はちょっと目をしばたたきながら言った。 六つ七つの時祖母につれられてきた時分と、庫裡の様子などほとんど変っていないように見えた。お彼岸に雪解けのわるい路を途中花屋に寄ったりして・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
・・・それは善・悪の彼岸、すなわち宗教意識にまで分け入らねば解決できぬ。もとより倫理学としては、その学の中で解決を求めて追求するのが学の任務であるが、一般に学の約束として、それは絶えざる認識の拡充としての永久の追求であっていいのである。しかし生の・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・ 丁度秋の彼岸の少し前頃のことだと覚えている。その時分毎日のように午後の二時半頃から家を出でては、中川べりの西袋というところへ遊びに出かけた。西袋も今はその辺に肥料会社などの建物が見えるようになり、川の流れのさまも土地の様子も大に変化し・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・ 外国の人もまた、マリヤ様、エス様が、たいへんありがたいおかたであるという事は、教会の雰囲気に依って知らされ、小さい時からお祈りをする習慣だけは得ていながらも、かならずしも聖書にあらわれたキリストの悲願を知ってはいないのだ。J・M・マリイ・・・ 太宰治 「世界的」
・・・善悪の彼岸という言葉がありますね。善と悪との向う岸です。倫理には、正しい事と正しくない事と、それからもう一つ何かあるんじゃないでしょうかね。おくさんのように、ただもう、物事を正、不正と二つにわけようとしても、わけ切れるものではないんじゃない・・・ 太宰治 「春の枯葉」
・・・この果てなく見える旅路が偶然にもわれわれの現代に終結して、これでいよいよ彼岸に到達したのだと信じうるだけの根拠を見いだすのは私には困難である。 それで私は現在あるがままの相対性理論がどこまで保存されるかという事は一つの疑問になりうると思・・・ 寺田寅彦 「相対性原理側面観」
・・・しかし相対原理が一般化されて重力に関する学者の考えが一変しても、りんごはやはり下へ落ち、彼岸の中日には太陽が春分点に来る。これだけは確実である。力やエネルギーの概念がどうなったところで、建築や土木工事の設計書に変更を要するような心配はない。・・・ 寺田寅彦 「春六題」
九月二十四日、日曜日、空よく晴れて暑からず寒からず。数学の宿題も午前の中に片付けたれば午後半日は思うまま遊ぶべしと定まれば昼飯待遠し。今日は彼岸にや本堂に人数多集りて和尚の称名の声いつもよりは高らかなるなど寺の内も今日は何・・・ 寺田寅彦 「半日ある記」
・・・ 大正三年秋の彼岸に、わたくしは久しく廃していた六阿弥陀詣を試みたことがあった。わたくしは千住の大橋をわたり、西北に連る長堤を行くこと二里あまり、南足立郡沼田村にある六阿弥陀第二番の恵明寺に至ろうとする途中、休茶屋の老婆が来年は春になっ・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・ 回想は現実の身を夢の世界につれて行き、渡ることのできない彼岸を望む時の絶望と悔恨との淵に人の身を投込む……。回想は歓喜と愁歎との両面を持っている謎の女神であろう。 ○ 七十になる日もだんだん近くなって来た・・・ 永井荷風 「雪の日」
出典:青空文庫