・・・ 茶の間にはやはり姉や洋一が、叔母とひそひそ話していた。それが彼の姿を見ると、皆一度に顔を挙げながら、何か病室の消息を尋ねるような表情をした。が、慎太郎は口を噤んだなり、不相変冷やかな眼つきをして、もとの座蒲団の上にあぐらをかいた。・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・その誘惑を意識しつつ、しかもその誘惑に抵抗しない、たとえば中途まで送って来た妓と、「何事かひそひそ囁き交したる後」莫迦莫迦しさをも承知した上、「わざと取ってつけたように高く左様なら」と云い合いて、別れ別れに一方は大路へ、一方は小路へ、姿を下・・・ 芥川竜之介 「久米正雄」
・・・私は今でもその若主人が、上布の肩から一なすり墨をぼかしたような夏羽織で、西瓜の皿を前にしながら、まるで他聞でも憚るように、小声でひそひそ話し出した容子が、はっきりと記憶に残っています。そう云えばもう一つ、その頭の上の盆提灯が、豊かな胴へ秋草・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・ そこで一緒に小用を足して、廊下づたいに母屋の方へまわって来ると、どこかで、ひそひそ話し声がする。長い廊下の一方は硝子障子で、庭の刀柏や高野槙につもった雪がうす青く暮れた間から、暗い大川の流れをへだてて、対岸のともしびが黄いろく点々と数・・・ 芥川竜之介 「老年」
・・・ 前々から、ちゃら金が、ちょいちょい来ては、昼間の廻燈籠のように、二階だの、濡縁だの、薄羽織と、兀頭をちらちらさして、ひそひそと相談をしていましたっけ。 当日は、小僧に一包み衣類を背負わして――損料です。黒絽の五つ紋に、おなじく鉄無・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・ 露路の長屋の赤い燈に、珍しく、大入道やら、五分刈やら、中にも小皿で禿なる影法師が動いて、ひそひそと声の漏れるのが、目を忍び、音を憚る出入りには、宗吉のために、むしろ僥倖だったのである。 八「何をするんですよ・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・咳をしたと言てはひそひそ、頭を痛がると言っては、ひそひそ。姑たちが額を集め、芝居や、活動によくある筋の、あの肺病だから家のためにはかえられない、という相談をするのです。――夫はただ「辛抱を、辛抱を。」と言うんですが、その辛抱をしきれないうち・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・兄夫婦も予もなお無言でおれば、子どもらはわけもわからずながら人々の前をかねるのか、ふたりは話しながらもひそひそと語り合ってる。 去年母の三年忌で、石塔を立て、父の名も朱字に彫りつけた、それも父の希望であって、どうせ立てるならばおれの生き・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・家の者は皆ひそひそ笑っているとの話であった。 そういう次第だから、作おんなのお増などは、無上と民子を小面憎がって、何かというと、「民子さんは政夫さんとこへ許り行きたがる、隙さえあれば政夫さんにこびりついている」 などと頻りに云い・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・その後から三人は、ひそひそと話しながら、じいさんの前になっている箱の上をのぞいていますと、突然、「このじいさんは人さらいだよ。」と、三人の後方から小声にいったものがありました。三人はびっくりして後ろの方を振り向くと、空色の着物をきた子供・・・ 小川未明 「空色の着物をきた子供」
出典:青空文庫