・・・ 淡島堂のお堂守となったはこれから数年後であるが、一夜道心の俄坊主が殊勝な顔をして、ムニャムニャとお経を誦んでお蝋を上げたは山門に住んだと同じ心の洒落から思立ったので、信仰が今日よりも一層堕落していた明治の初年の宗教破壊気分を想像される・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・そのつばめは、こうして、旅をしているうちに、一夜、ひじょうな暴風に出あいました。驚いて、木の葉をしっかりとくわえて暗い空に舞い上がり、死にもの狂いで夜の間を暴風と戦いながらかけりました。 夜が明けると、はるか目の下の波間に、赤い船が、暴・・・ 小川未明 「赤い船とつばめ」
・・・あれはいつだったっけ、何でも俺が船へ乗り込む二三日前だった、お前のところへ暇乞いに行ったら、お前の父が恐ろしく景気つけてくれて、そら、白痘痕のある何とかいう清元の師匠が来るやら、夜一夜大騒ぎをやらかしたあげく、父がしまいにステテコを踊り出し・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・時々人のいない所でカツラを取って何時間も掛って埃を払っている――そんな姿を見ると、つくづく嫌気がさして来たある夜、どう魔がさしたのかポン引に誘われて一夜女を買った。ところが、その女はそんな所の女とは思えないくらい美人で、金で売り乍ら自分から・・・ 織田作之助 「世相」
・・・そして下宿へも帰れずに公園の中をうろついているとか、またはケチな一夜の歓楽を買おうなどと寒い夜更けに俥にも乗れずに歩いている時とか、そういったような時に、よくその亡霊に出会したというのであった。「……そんな場合の予感はあるね。変にこう身・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・吉田はその話を聞いてから自分の睡むれないときには何か自分に睡むるのを欲しない気持がありはしないかと思って一夜それを検査してみるのだったが、今自分が寐られないということについては検査してみるまでもなく吉田にはそれがわかっていた。しかし自分がそ・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・行く末のかれが大望は霧のかなたに立ちておぼろながら確かにかれの心を惹き、恋は霧のごとく大望を包みて静かにかれの眼前に立ちふさがり、かれは迷いつ、怒りつ、悲哀と激昂とにて一夜を明かせり。明けがた近くしばしまどろみしが目さめし時はかれの顔真っ蒼・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・破れ小屋でもいい、それを見つけて一夜を明かしたい! だが、どこまで行っても雪ばかりだ。…… 最初に倒れたのは、松木だった。それから武石だった。 松木は、意識がぼっとして来たのは、まだ知っていた。だが、まもなく頭がくらくらして前後・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・足利氏の時にも相阿弥その他の人、利休と同じような身分の人はあっても、利休ほどの人もなく、また利休が用いられたほどに用いられた人もなく、また利休ほどに一世の趣味を動かして向上進歩せしめた人もない。利休は実に天仙の才である。自分なぞはいわゆる茶・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・こし方行末おもい続けてうつらうつらと一夜をあかしぬ。 十三日、明けて糠くさき飯ろくにも喰わず、脚半はきて走り出づ。清水川という村よりまたまた野辺地まで海岸なり、野辺地の本町といえるは、御影石にやあらん幅三尺ばかりなるを三四丁の間敷き連ね・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
出典:青空文庫