・・・ ――もともと出鱈目と駄法螺をもって、信条としている彼の言ゆえ、信ずるに足りないが、その言うところによれば、彼の祖父は代々鎗一筋の家柄で、備前岡山の城主水野侯に仕えていた。 彼の五代の祖、川那子満右衛門の代にこんなことがあった……。・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・ 毎年二月半ばから四月五月にかけて但馬、美作、備前、讃岐あたりから多くの遍路がくる。菅笠をかむり、杖をつき、お札ばさみを頸から前にかけ、リンを鳴らして、南無大師遍照金剛を口ずさみながら霊場から霊場をめぐりあるく。 この島四国めぐりは・・・ 黒島伝治 「海賊と遍路」
・・・敵愈々逼りたれば吾が兄備前守」と此処まで云いて今更の感に大粒の涙ハラハラと、「雑兵共に踏入られては、御かばねの上の御恥も厭わしと、冠リ落しの信国が刀を抜いて、おのれが股を二度突通し試み、如何にも刃味宜しとて主君に奉る。今は斯様よとそ・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・いよいよ蝋管に声を吹き込む段となって、文学士は吹き込みラッパをその美髯の間に見える紅いくちびるに押し当てて器械の制動機をゆるめた。そうして驚くような大きな声で「ターカイヤーマーカーラアヽ」と歌いだした。 私はその瞬間に経験した不思議な感・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・柵の外より頻りに汽車の方を覗く美髯公のいずれ御前らしきが顔色の著しく白き西洋人めくなど土地柄なるべし。立派なる洋館も散見す。大船にて横須賀行の軍人下りたるが乗客はやはり増すばかりなり。隣りに坐りし静岡の商人二人しきりに関西の暴風を語り米相場・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・権右衛門は討入りの支度のとき黒羽二重の紋附きを着て、かねて秘蔵していた備前長船の刀を取り出して帯びた。そして十文字の槍を持って出た。 竹内数馬の手に島徳右衛門がいるように、高見権右衛門は一人の小姓を連れている。阿部一族のことのあった二三・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・それから西宮、兵庫を経て、播磨国に入り、明石から本国姫路に出て、魚町の旅宿に三日いた。九郎右衛門は伜の家があっても、本意を遂げるまでは立ち寄らぬのである。それから備前国に入り、岡山を経て、下山から六月十六日の夜舟に乗って、いよいよ四国へ渡っ・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫