・・・女中部屋など従来入ったことも無かったのであるが、見ると高窓が二尺ばかり開け放しになってるので、何心なく其処から首をひょいと出すと、直ぐ眼下に隣のお源が居て、お源が我知らず見上た顔とぴたり出会った。お源はサと顔を真赤にして狼狽きった声を漸と出・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・ある日、それが、ぴたりと動かなくなった。冬籠もりをした汽船は、水上にぬぎ忘れられた片足の下駄のように、氷に張り閉されてしまった。 舷側の水かきは、泥濘に踏みこんで、二進も三進も行かなくなった五光のようだった。つい、四五日前まで船に乗って・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・台座を合せて見ても、またそれがために造ったもののようにぴたりと合う。いよいよ驚いた太常は溜息を吐かぬばかりになって、「して君のこの定鼎はどういうところからの伝来である」と問うた。すると丹泉は莞爾と笑って、「この鼎は実は貴家から出たのでござり・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・なれども当人は平気で、口の内で謡をうたい、或はふいと床から起上って足踏をいたして、ぐるりと廻って、戸棚の前へぴたりと坐ったり何か変なことをいたし、まるで狂人じみて居ります。ちょうど歳暮のことで、内儀「旦那え/\」七「えゝ」内儀「・・・ 著:三遊亭円朝 校訂:鈴木行三 「梅若七兵衞」
・・・ 深い真昼時、船頭や漁夫は食事に行き、村人は昼寝をし、小鳥は鳴を鎮めて渡舟さえ動かず、いつも忙しい世界が、その働きをぴたりと止めて、急に淋しくおそろしいように成った時、宏い宏い、心に喰い入るような空の下には、唯、物を云わない自然と、こそ・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・ 小坂氏は部屋へあがって、汚い畳にぴたりと両手をつき、にこりともせず、厳粛な挨拶をした。「大隅君から、こんな電報がまいりましてね、」私は、いまは、もう、なんでもぶちまけて相談するより他は無いと思った。「○オクッタとありますが、この○・・・ 太宰治 「佳日」
・・・ その夜、秋田に於いて、常連が二十人ちかく、秋田のおかみは、来る客、来る客の目の前に、秋田産の美酒一升瓶一本ずつ、ぴたりぴたりと据えてくれた。あんな豪華な酒宴は無かった。一人が一升瓶一本ずつを擁して、それぞれ手酌で、大きいコップでぐいぐ・・・ 太宰治 「酒の追憶」
・・・風車がぴたりと停止した時、「ありがとう!」明朗な口調で青年が言った。 私もはっきり答えた。「ハバカリサマ。」 それは、どんな意味なのか、私にはわからない。けれども私は、そう言って青年に会釈して、五、六歩あるいて、実に気持がよ・・・ 太宰治 「作家の手帖」
・・・また五分くらいすると不意に思い出したように一陣の風がどうっと吹きつけてしばらくは家鳴り震動する、またぴたりと止む、するとまた雨の音と川瀬のせせらぎとが新たな感覚をもって枕に迫って来る。 高い上空を吹いている烈風が峰に当って渦流をつくる。・・・ 寺田寅彦 「雨の上高地」
・・・というとたんに、ぱっと二人の乗って行った船の機関室が映写されて、今まで回っていたエンジンのクランクがぴたりと止まる。これらはまねやすい小技巧ではあるがやはりちょっとおもしろい。 バスチアンとイドウとが氷塊を小汽艇へ積み込んでいるところへ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
出典:青空文庫