・・・そいつが中々たくれいふうはつしているから、面白がって前の方へ出て聞いていると、あなたを一つかけて上げましょうと云われたので、そうそう退却した。こっちの興味に感ちがいをする人間ほど、人迷惑なものはない。 家へ帰ったら、留守に来た手紙の中に・・・ 芥川竜之介 「田端日記」
・・・瀬古 ともちゃんはここに来る前に何か食べて来たね。とも子 ええ食べてよ、おはぎを。沢本 黙れ黙れ。ああ俺はもうだめだ。つばも出なくなっちまいやがった。瀬古 ふうん、おはぎを……強勢だなあ、いくつ食べたい。とも子 ま・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・「一銭おくれ」と馬鹿は大儀そうな声でいった。「ふうむ薪でも割ってくれれば好いけれど、手前にはそれも出来まい」と憎げに百姓はいった。馬鹿は卑しい、卑褻な詞で返事をした。 レリヤは、「此処は厭な処だから、もう帰りましょうね」と犬に向かってい・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
・・・腹は何を巻いてかくしたか、縞小紋の糸が透いて、膝へ紅裏のにじんだ小袖を、ほとんど素膚に着たのが、馬ふんの燃える夜の陽炎、ふかふかと湯気の立つ、雁もどきと、蒟蒻の煮込のおでんの皿盛を白く吐く息とともに、ふうと吹き、四合壜を片手に提げて「ああ敷・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・これで妻子が生命の大部分といった言葉の意味だけはわかるであろうが、かくのごとき境遇から起こってくるときどきのできごととその事実は、君のような大船に安乗して、どこを風が吹くかというふうでいらるる人のけっして想像し得ることではないのだ。 こ・・・ 伊藤左千夫 「去年」
・・・臨んで淵を測らず きほ敢て忘れん慈父の訓 飄零枉げて受く美人の憐み 宝刀一口良価を求む 貞石三生宿縁を証す 未だ必ずしも世間偉士無からざるも 君が忠孝の双全を得るに輸す 浜路一陣のこうふう送春を断す 名花空しく路傍の塵に委す・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・他の人もアアいうことをするから私もソウしようというふうではないか。ほかの人もアメリカへ金もらいに行くから私も行こう、他の人も壮士になるから私も壮士になろう、はなはだしきはだいぶこのごろは耶蘇教が世間の評判がよくなったから私も耶蘇教になろう、・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・西洋ふうの建物がならんでいて、通りには、柳の木などが植わっていました。けれども、なんとなく静かな町でありました。 さよ子はその街の中を歩いてきますと、目の前に高い建物がありました。それは時計台で、塔の上に大きな時計があって、その時計のガ・・・ 小川未明 「青い時計台」
・・・というのは、窓のなかにいる人間を見ていてその人達がなにかはかない運命を持ってこの浮世に生きている。というふうに見えたということなんです」「そうだ。それは大いにそうだ。いや、それがほんとうかもしれん。僕もそんなことを感じていたような気がす・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・上田は冷ややかに笑います、鷹見は、「イヤ、あんな男に限って、女にかあいがられるものサ、女の言いなりほうだいになっていて、それでやはり男だから、チョイと突っ張ってみる、いわゆる張りだね、女はそういうふうな男を勝手にしたり、また勝手にされて・・・ 国木田独歩 「あの時分」
出典:青空文庫