・・・だから一方に於ては、孔子の実践躬行という思想がなかなか深く頭に入っている。……いわばまあ、上っ面の浮かれに過ぎないのだけれど、兎に角上っ面で熱心になっていた。一寸、一例を挙げれば、先生の講義を聴く時に私は両手を突かないじゃ聴かなんだものだ。・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・実にこの胸に眠っているものを、夜吹く風が遠い便を持って来るようにお蔭で感じるといったのう。実に君は風の伝える優しい糸の音だったよ。ただその風というものが実は誰かの昔吐いた息であったのだ。僕の息でなければ外の人の息であったのだ。ほんに君と僕と・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・己の心を深く動かした音楽が、神と人との間の不思議を聞せるような音楽が止んだ。大方己のために不思議の世界を現じた楽人は、詰らぬ乞食か何かで、門に立って楽器を鳴らしていたのが、今は曲を終ったので帽子でも脱いで、その中へ銅貨を入れて貰おうとしてい・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・ 四季の題は多く客観的にして、『古今』以後客観的の歌は増加したれど、皆縁語または言語の虚飾を交えて、趣味を深くすることを解せざりしかば、絵画のごとく純客観的なるは極めて少かり。『新古今』は客観的叙述において著く進歩しこの集の特色を成しし・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・こいつは棺にも入れず葬むりもしないから誠に自由な感じがして甚だ心持がよいわけであるが、併し誰れかに見つけられて此ミイラを風の吹く処へかつぎ出すと、直ぐに崩れてしまうという事である。折角ミイラになって見た所が、すぐに崩れてしもうてはまるで方な・・・ 正岡子規 「死後」
・・・なぜならこれからちょうど小さな根がでるころなのに西風はまだまだ吹くから幹がてこになってそれを切るのだ。けれども菊池先生はみんな除らせた。花が咲くのに支柱があっては見っともないと云うのだけれども桜が咲くにはまだ一月もその余もある。菊池先生は春・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・ ホモイはいきなりその枝に、青い皮の見えるくらい深くかみつきました。そして力いっぱいにひばりの子を岸の柔らかな草の上に投げあげて、自分も一とびにはね上がりました。 ひばりの子は草の上に倒れて、目を白くしてガタガタ顫えています。 ・・・ 宮沢賢治 「貝の火」
・・・信州の宿屋の一こま、産婆のいかがわしい生活の一こま、各部は相当のところまで深くつかまれているけれども、場面から場面への移りを、内部からずーと押し動かしてゆく流れの力と幅とが足りないため、移ったときの或るぎこちなさが印象されるのである。 ・・・ 宮本百合子 「「愛怨峡」における映画的表現の問題」
・・・ 風がサアーッと吹くとブルブルッと身ぶるいの出るほど寒い。熱が出ると悪いと思って家へ入る。 それでもまだ寒い。 かんしゃくが起る。 秋風が身にしみる。「ああああ夜になるのかなあ」と思うと急にあたりに気を配る――午後六時。・・・ 宮本百合子 「秋風」
・・・ 頭の地にすっかりオレーフル油を指ですりつけて、脱脂綿で、母がしずかに拭くと、細い毛について、黄色の松やにの様なものがいくらでも出て来る。 小半時間もかかって、やっと、しゃぼんで洗いとると今までとは見違える様に奇麗になって、赤ちゃけ・・・ 宮本百合子 「一日」
出典:青空文庫