・・・ 自動車の厚い窓硝子の中から、ちらりと投げた視線に私の後姿を認めた富豪の愛らしい令嬢たちは、きっと、その刹那憐憫の交った軽侮を感じるだろう。彼女は女らしい自分流儀の直覚で、佇んでいる私の顔を正面から見たら、浅間しい程物慾しげな相貌を尖ら・・・ 宮本百合子 「小景」
・・・するとその翌朝故国から来た弟の手紙が、計らずもその先生の断片的な消息を齎して来た、私は生れて始めて、此丈符合した夢を見た。人が呼ぶ偶然の裡には不思議がある。 考えて見れば、大人だと思っていた先生も彼の頃はまだ真個の青年で居られたのだ。恐・・・ 宮本百合子 「追慕」
・・・比較しようとして思い出そうとしても、それに符合して思い出せるどんな瞬間もない。それはしんそこからうれしいことだった。○はじめての夜 それは苦悶のような思い出だった。 だが今は○手塚がつかまったと教えに来たときのm、かすりの着・・・ 宮本百合子 「無題(十三)」
Auguste Rodin は為事場へ出て来た。 広い間一ぱいに朝日が差し込んでいる。この Hオテル Biron というのは、もと或る富豪の作った、贅沢な建物であるが、ついこの間まで聖心派の尼寺になっていた。Faubo・・・ 森鴎外 「花子」
・・・それでいて、こんな催しをするのは、彼が忽ち富豪の主人になって、人を凌ぎ世に傲った前生活の惰力ではあるまいか。その惰力に任せて、彼は依然こんな事をして、丁度創作家が同時に批評家の眼で自分の作品を見る様に、過ぎ去った栄華のなごりを、現在の傍観者・・・ 森鴎外 「百物語」
・・・自動車を飛ばせて行く官吏、政治家、富豪の類である。帝国ホテルが近いから夕方にでもなれば華やかに装った富豪の妻や娘もそれに混じるであろう。公共の任務のために忙しく自動車を駆るものは致し方がないが、私利をはかるために、またはホテルで踊るために、・・・ 和辻哲郎 「蝸牛の角」
・・・あるとき藤村は、相当の富豪の息子で、文筆の仕事に携わろうとしている人の住宅の噂をしたことがある。藤村はその住宅の大きく立派であることを話したあとで、あの程度の仕事をしていながら、あんな立派な家に住んでいて、よく恥ずかしくないものだと思います・・・ 和辻哲郎 「藤村の個性」
出典:青空文庫