・・・いっそ蛍を飛ばすなら、祇園、先斗町の帰り、木屋町を流れる高瀬川の上を飛ぶ蛍火や、高台寺の樹の間を縫うて、流れ星のように、いや人魂のようにふっと光って、ふっと消え、スイスイと飛んで行く蛍火のあえかな青さを書いた方が、一匹五円の闇蛍より気が利い・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・ 白崎が狼狽しているので、彼女はふっと微笑した。すると、白崎はますます狼狽して、「困ったなア。いや、けっしていやな奴では……。いや、全くいい道連れでしたよ。しかし、思えば不思議ですね。元来、僕は音痴で、小学校からずっと唱歌は四点で、・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
・・・…… 語っているマダムの顔は白粉がとけて、鼻の横にいやらしくあぶらが浮き、息は酒くさかった。ふっと顔をそむけた拍子に、蛇の目傘をさした十銭芸者のうらぶれた裾さばきが強いイメージとなって頭に浮んだ。現実のマダムの乳房への好奇心は途端に消え・・・ 織田作之助 「世相」
・・・ 私はこう心の中に繰返して笑いをこらえていたが、ふっと笑えないようなある感じがはいってきて、私の心が暗くなった。「禅骨! 禅骨!」 私は今度はこう口へ出して、ほめそやすように冗談らしく彼に声をかけたが、しかし私の心はやはり明るく・・・ 葛西善蔵 「遊動円木」
・・・そんなことがふっと思えた。いつか峻が抱きすくめてやった時、「もっとぎうっと」と何度も抱きすくめさせた。その時のことが思い出せたのだった。そう思えばそれもいかにも勝子のしそうなことだった。峻は窓を離れて部屋のなかへ這入った。 夜、夕飯・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・ その三 色々な考えに小な心を今さら新に紛れさせながら、眼ばかりは見るものの当も無い天をじっと見ていた源三は、ふっと何の禽だか分らない禽の、姿も見えるか見えないか位に高く高く飛んで行くのを見つけて、全くお浪に対ってでは無・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・いるのは少しでも潮が上から押すのですから、澪を外れた、つまり水の抵抗の少い処を漕いでいるのでしたが、澪の方をヒョイッと見るというと、暗いというほどじゃないが、よほど濃い鼠色に暮れて来た、その水の中からふっと何か出ました。はてナと思って、その・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・ けれども、そんなことして、あの女工さん、おどろき、おそれてふっと声を失ったら、これは困る。無心の唄を、私のお礼が、かえって濁らせるようなことがあっては、罪悪である。私は、ひとりでやきもきしていた。 恋、かも知れなかった。二月、寒い・・・ 太宰治 「I can speak」
・・・ 次男は、ふっと口をつぐんだ。そうして、けッと自嘲した。二十四歳にしては、流石に着想が大人びている。「あたし、もう、結末が、わかっちゃった。」次女は、したり顔して、あとを引きとる。「それは、きっと、こうなのよ。博士が、そのマダムとわ・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・この愚僧は、たいへんおしゃれで、喫茶店へ行く途中、ふっと、指輪をはめて出るのを忘れて来たことに気がつき、躊躇なくくるりと廻れ右して家へ引きかえし、そうしてきちんと指輪をはめて、出直し、やあ、お待ちどおさま、と澄ましていました。 私は大学・・・ 太宰治 「兄たち」
出典:青空文庫