・・・曇る鑑の霧を含みて、芙蓉に滴たる音を聴くとき、対える人の身の上に危うき事あり。けきぜんと故なきに響を起して、白き筋の横縦に鏡に浮くとき、その人末期の覚悟せよ。――シャロットの女が幾年月の久しき間この鏡に向えるかは知らぬ。朝に向い夕に向い、日・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・ところが職業とか専門とかいうものは前申す通り自分の需用以上その方面に働いてそうしてその自分に不要な部分を挙げて他の使用に供するのが目的であるから、自己を本位にして云えば当初から不必要でもあり、厭でもある事を強いてやるという意味である。よく人・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・上がり口に白芙蓉が五六輪、夕暮の秋を淋しく咲いている。見上げる向では阿蘇の山がごううごううと遠くながら鳴っている。「あすこへ登るんだね」と碌さんが云う。「鳴ってるぜ。愉快だな」と圭さんが云う。 三「姉さ・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・この要点は全体を明かにするにおいて功力があるのみならず、要点以外に気を散らす必要がなく、不要の部分をことごとく切り棄てる事もできるからして、読者から云えば注意力の経済になる。この要点を空間に配して云うと、沙翁は king と云う大きなものを・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・そしてそれは六神丸の原料を控除した不用な部分なんだ! 私は、そこで自暴自棄な力が湧いて来た。私を連れて来た男をやっつける義務を感じて来た。それが義務であるより以上に必要止むべからざることになって来た。私は上着のポケットの中で、ソーッとシ・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・島田髷はまったく根が抜け、藤紫のなまこの半掛けは脱れて、枕は不用もののように突き出されていた。 善吉はややしばらく瞬きもせず吉里を見つめた。 長鳴するがごとき上野の汽車の汽笛は鳴り始めた。「お、汽車だ。もう汽車が出るんだな」と、・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・夫妻同居、夫が妻を扶養するは当然の義務なるに、其妻たる者が僅に美衣美食の賄を給せられて、自身に大切なる本来の権利を放棄せんとす、愚に非ずして何ぞや。故に夫婦苦楽を共にするの一事は努ゆめゆめ等閑にす可らず、苦にも楽にも私に之を隠して之を共にせ・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・この趣を見れば、学校はあたかも不用の子供を投棄する場所の如し。あるいは口調をよくして「学校はいらぬ子供のすてどころ」といわばなお面白からん。斯る有様にては、仮令いその子を天下第一流の人物、第一流の学者たらしめんと欲するの至情あるも、人にいわ・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
・・・その異なる所は道徳を不用なりというには非ず。小学校に『論語』『大学』の適当せざるをいうなり。今の日本の有様にて、今の小学校はただ、下民の子供が字を学び数を知るまでの場所にて、成学の上、ひと通りの筆算帳面のつけようにてもできれば満足すべきもの・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・その虚実、要不要の論はしばらく擱き、我が日本国人が外国交際を重んじてこれを等閑に附せず、我が力のあらん限りを尽して、以て自国の体面を張らんとするの精神は誠に明白にして、その愛国の衷情、実際の事跡に現われたるものというべし。 然るに、我輩・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
出典:青空文庫