・・・帰るたびに入りつけた料理屋へついて、だだっ広い石畳の入口から、庭の飛石を伝っていくと、そこに時代のついた庭に向いて、古びた部屋があった。道太は路次の前に立って、寂のついた庭を眺めていた。この町でも別にいいというほどの庭ではなかったけれど、乾・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・それが深水と打ちあわせてある場所で、古びた藤棚の下に石の丸卓があって、雨ざらしのベンチがあった。さて――、一ばんさいしょに何といえばいいだろう。ベンチに坐ったりたったりしながら、三吉はあわてていた。それはゆうべから考えていることだが、まだわ・・・ 徳永直 「白い道」
・・・今まで掛けてある橋は三、四カ処もあったらしいが、いずれも古びた木橋で、中には板一枚しかわたしてないものもあった。然るにわたくしは突然セメントで築き上げた、しかも欄干さえついているものに行き会ったので、驚いて見れば「やなぎばし」としてあった。・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・ 水戸の御家人や旗本の空屋敷が其処此処に売物となっていたのをば、維新の革命があって程もなく、新しい時代に乗じた私の父は空屋敷三軒ほどの地所を一まとめに買い占め、古びた庭園や木立をそのままに広い邸宅を新築した。私の生れた時には其の新しい家・・・ 永井荷風 「狐」
・・・下らぬ本がある。古びた本がある。読めそうもない本がある。そのほかにカーライルの八十の誕生日の記念のために鋳たという銀牌と銅牌がある。金牌は一つもなかったようだ。すべての牌と名のつくものがむやみにかちかちしていつまでも平気に残っているのを、も・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・湖は緑青よりももっと古びその青さは私の心臓まで冷たくしました。 ふと私は私の前に三人の天の子供らを見ました。それはみな霜を織ったような羅をつけすきとおる沓をはき私の前の水際に立ってしきりに東の空をのぞみ太陽の昇るのを待っているようでした・・・ 宮沢賢治 「インドラの網」
・・・元村長をした人の後家のところでは一晩泊って、綿入れの着物と毛糸で編んだ頭巾とを貰った。古びた信玄袋を振って、出かけてゆく姿を、仙二は嫌悪と哀みと半ばした気持で見た。「ほ、婆さま真剣だ。何か呉れそうなところは一軒あまさずっていう形恰だ」・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
・・・ 火事にも逢わずに、だいぶ久しく立っている家と見えて、頗ぶる古びが附いていた。柱なんぞは黒檀のように光っていた。硝子の器を載せた春慶塗の卓や、白いシイツを掩うた診察用の寝台が、この柱と異様なコントラストをなしていた。 この卓や寝台の・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・身に着いたのは浅紺に濃茶の入ッた具足で威もよほど古びて見えるが、ところどころに残ッている血の痕が持主の軍馴れたのを証拠立てている。兜はなくて乱髪が藁で括られ、大刀疵がいくらもある臘色の業物が腰へ反り返ッている。手甲は見馴れぬ手甲だが、実は濃・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・何羽いるか知れない程の鶏の世話をしている事もある。古びた自転車に乗って、郵便局から郵便物を受け取って帰る事もある。 エルリングの体は筋肉が善く発達している。その幅の広い両肩の上には、哲学者のような頭が乗っている。たっぷりある、半明色の髪・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
出典:青空文庫