・・・二人はまともにぶつかる所を、やっと両方へ身を躱した。「御免下さいまし。」 結いたての髪をにおわせた美津は、極り悪そうにこう云ったまま、ばたばた茶の間の方へ駈けて行った。 洋一は妙にてれながら、電話の受話器を耳へ当てた。するとまだ・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・ 彼は何かにぶつかるように一生懸命に話しかけていた。が、彼の妹は時々赤児をあやしながら、愛想の善い応対をするだけだった。僕は番茶の渋のついた五郎八茶碗を手にしたまま、勝手口の外を塞いだ煉瓦塀の苔を眺めていた。同時にまたちぐはぐな彼等の話・・・ 芥川竜之介 「彼」
・・・皿の破れる音、椅子の倒れる音、それから、波の船腹へぶつかる音――、衝突だ。衝突だ。それとも海底噴火山の爆発かな。 気がついて見ると、僕は、書斎のロッキング・チェアに腰をかけて St. John Ervine の The Critics ・・・ 芥川竜之介 「MENSURA ZOILI」
・・・その代わり、彼は生まれてはじめて、父が商売上のかけひきをする場面にぶつかることができたのだ。父は長い間の官吏生活から実業界にはいって、主に銀行や会社の監査役をしていた。そして名監査役との評判を取っていた。いったい監査役というものが単に員に備・・・ 有島武郎 「親子」
・・・無数にある交叉点の一つにぶつかることがある。その時そこに安住の地を求めて、前にも後ろにも動くまいと身構える向きもあるようだ。その向きの人は自分の努力に何の価値をも認めていぬ人と言わねばならぬ。余力があってそれを用いぬのは努力ではないからであ・・・ 有島武郎 「二つの道」
・・・女などは髪切の化物が飛び込んだように上を下、くるくる舞うやらぶつかるやら、お米なども蒼くなって飛んで参って、私にその話をして行きましたっけ。 さあ二日経っても三日経っても解りますまい、貴夫人とも謂われるものが、内からも外からも自分の家の・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・ と謂う折しも凄まじく大戸にぶつかる音あり。「あ、痛。」 と謙三郎の叫びたるは、足や咬まれし、手やかけられし、犬の毒牙にかかれるならずや。あとは途ぎれてことばなきに、お通はあるにもあられぬ思い、思わず起って駈出でしが、肩肱いかめ・・・ 泉鏡花 「琵琶伝」
・・・ あきない帰りの豆府屋が、ぶつかるように、ハタと留った時、「あれ、蜻蛉が。」 お米が膝をついて、手を合せた。 あの墓石を寄せかけた、塚の糸枠の柄にかけて下山した、提灯が、山門へ出て、すこしずつ高くなり、裏山の風一通り、赤蜻蛉・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・偶々トルストイのように本当にその精神にぶつかることの出来た人に於て、初めてキリストの感情は地上に花を開くのだ。六 然し現在のキリスト教なるものは、多くは世界の資本家の涙金から同盟を作り、大会を催す――換言すれば、経済的に資本主義・・・ 小川未明 「反キリスト教運動」
・・・しかし私はそいつが、別にあたりを見廻すというのでもなく、いかにも毎夜のことのように陰鬱な表情で溪からはいって来る姿に、ふと私が隣の湯を覗いた瞬間、私の視線にぶつかるような気がしてならなかったのである。 あるとき一人の女の客が私に話をした・・・ 梶井基次郎 「温泉」
出典:青空文庫