・・・むつまじげに話しながら、楽しげに歌いながら拾っています、それがいずれも十二三、たぶん何村あたりの農家の子供でしょう。 私はしばらく見おろしていましたが、またもや書物のほうに目を移して、いつか小娘のことは忘れてしまいました。するとキャッと・・・ 国木田独歩 「春の鳥」
・・・『大ぶんお歳がゆきましたね、』思わず同情の言葉が意味を違えて放たれた。『なに、これでまだまだ君なんかより丈夫だろう。この酒は上等だわイ。』『白馬とは違いますよ、ハハハハハハ』と、自分はふと口をすべらした。何たる残刻無情の一語ぞ、・・・ 国木田独歩 「まぼろし」
・・・ おふくろが、昔、雨の日に、ぶん/\まわして糸を紡いだ糸車は、天井裏の物置きで、まッ黒に煤けていた。鼠が時に、その上にあがると、糸車は、天井裏でブルン/\と音をたてた。「あの音は、なんぞいの?」 晩のことだった。耳が遠くなったお・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
・・・夫婦は、かわいそうだと思って、じぶんたちの食べるものを分けてやりました。 乞食のじいさんは、二人が、へんにしおしおしているのを見て、どうしたわけかと聞きました。二人は、生れた子どもの名附親になってくれる人がないから困っているところだと話・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・男の子は、日ぐれだから金の窓もしめるのだなと思って、じぶんもお家へかえって、牛乳とパンを食べて寝るのでした。 或日お父さんは、男の子をよんで、「おまいはほんとによくはたらいておくれだ。そのごほうびに、きょうは一日おひまを上げるから、・・・ 鈴木三重吉 「岡の家」
・・・そのうちに、何だか、じぶんのもっている、大麦でこしらえたパンとバタを、その女の人にやりたくなって、そっと、岸へ下りていきました。 女は間もなく、髪をすいてしまって、すらすらとこちらへ歩いて来ました。ギンはだまってパンとバタをさし出しまし・・・ 鈴木三重吉 「湖水の女」
・・・いつかは、あいつを、ぶんなぐるつもりで居ります。そいつの、いやな、だみ声を、たったいまラジオで聞いて、博士は、不愉快でたまりませぬ。ビイルを、がぶ、がぶ、飲みました。もともと博士は、お酒には、あまり強いほうでは、ございません。たちまち酩酊い・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・も珍らしい事ではないけれども、その日、仕事場からの帰りに、駅のところで久し振りの友人と逢い、さっそく私のなじみのおでんやに案内して大いに飲み、そろそろ酒が苦痛になりかけて来た時に、雑誌社の編輯者が、たぶんここだろうと思った、と言ってウイスキ・・・ 太宰治 「朝」
・・・ あの女に、おれはずいぶん、お世話になった。それは、忘れてはならぬ。責任は、みんなおれに在るのだ。世の中のひとが、もし、あの人を指弾するなら、おれは、どんなにでもして、あのひとをかばわなければならぬ。あの女は、いいひとだ。それは、おれが・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・ もし、人間の扮したお園が人形のお園と精密に同じ身ぶりをしたとしたら、それはたぶん唖者のように見えるか、せいぜいで、人形のまねをしている人間としか見えないであろう。しかるに人形のお園は太夫の声を吸収同化してかえってほんとうのお園そのもの・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
出典:青空文庫