・・・何という不作法な仲居さんだろうか、と私はぷいと横をむいたままでいたが、あ、お勘定が足りないのだとすぐ気がつきハンドバックから財布を出して、黙ってあの人の前へおしやり、ああ恥かしい、恥かしいと半分心のなかで泣きだしていた。それでやっとお勘定も・・・ 織田作之助 「天衣無縫」
・・・ 小川は、なお、一と時、いかつい眼つきで源作を見つめ、それから怒っているようにぷいと助役の方へ向き直った。収入役や書記は、算盤をやめて源作の方を見ていた。源作は感覚を失ったような気がした。 彼は、税金を渡すと、すごすご役場から出て帰・・・ 黒島伝治 「電報」
・・・ 次郎が私に向かって、こんなふうに強く出たことは、あとにも先にもない。急に私は自分を反省する気にもなったし、言葉の上の争いになってもつまらないと思って、それぎり口をつぐんでしまった。 次郎がぷいと表へ出て行ったあとで、太郎は二階の梯・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・と言い放って、ぷいと顔をそむけた。「それあ、まあ、そうだがね。」と私は、醜く笑って、内心しまった! と狼狽していたのだが、それを狡猾に押し隠して、「君の、その主張せざるを得ない内心の怒りには、同感出来るが、その主張の言葉には、間違いが在・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・蜻とんぼが傘にとまっていたのが外のとんぼと喰い合って小溝へ落ちそうにしてぷいと別れた。溝からの太陽の反射で顔がほてるような。要太郎はやはりねらいながら田を廻っている。どうも鴫は居ぬらしい。後の方でダーダーと云う者があるからふりかえると、五、・・・ 寺田寅彦 「鴫つき」
・・・ 忘れもしない、その夜の大雪は、既にその日の夕方、両国の桟橋で一銭蒸汽を待っていた時、ぷいと横面を吹く川風に、灰のような細い霰がまじっていたくらいで、順番に楽屋入をする芸人たちの帽子や外套には、宵の口から白いものがついていた。九時半に打・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・口惜しければ悟った証拠を持って来いと云ってぷいと向をむいた。怪しからん。 隣の広間の床に据えてある置時計が次の刻を打つまでには、きっと悟って見せる。悟った上で、今夜また入室する。そうして和尚の首と悟りと引替にしてやる。悟らなければ、和尚・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・ 平田はぷいと坐を起ッた。「お便所」と、小万も起とうとする。「なアに」と、平田は急いで次の間へ行ッた。「放擲ッておおきよ、小万さん。どこへでも自分の好きなとこへ行くがいいやね」 次の間には平田が障子を開けて、「おやッ、草履が・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・と、私はぷいと飛出して了った。その時、親達は大学に入れと頻りに勧めたが、官立の商業学校に止まらなかったと同様に、官立の大学にも入らなかった。で、終には、親の世話になるのも自由を拘束されるんだというので、全く其の手を離れて独立独行で勉強しよう・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・いい加減遊ぶと忠公はぷいと、「あばよ、パいよ」と云って引こむ。 一太は長いこと長いこと母親の手許を眺めていてから、そっと、「キャラメル二銭買っとくれよ、おっかちゃん」とねだった。「…………」「ね! 一度っきり、ね・・・ 宮本百合子 「一太と母」
出典:青空文庫