・・・昔のプロレタリア文学運動にたいする政治的偏向の批判とか、文学における世界観の課題にたいする過小評価、作家論の場合は平野謙の小林多喜二にたいする批評などのようなまったく本質からはずれた形をとります。そして、一貫してプロレタリア文学運動に指導的・・・ 宮本百合子 「一九四六年の文壇」
・・・ × 後、常任中央委員会によって確乎周密な「右翼的偏向に対する決議」が発表された。 三月号『プロレタリア文学』が敵に奪われたため「前進のために」は時間的に前後した観があるが、内容は今日においても十分積極的意義・・・ 宮本百合子 「前進のために」
・・・ 同志小林が不屈な精神によって新たな任務を遂行し、しかも最近どんなに刮目すべきテンポで理論家としても発展しつつあったかは「右翼的偏向の諸問題」に関して昨年十二月以来プロレタリア文学、文化に堀英之助の筆名によって発表された諸論策が物語ると・・・ 宮本百合子 「同志小林の業績の評価に寄せて」
・・・ 外国支部の指導において国際局は、プロレタリア作家乃至その団体の右傾的偏向に対しても、左傾的偏向に対してもいわゆる二つの戦線において決死的な闘争を行った。この事は独逸支部のような威力ある支部の仕事においてすら、多くの過誤から免れしめるこ・・・ 宮本百合子 「ニッポン三週間」
・・・一九三二年の後半期から三三年にかけて日本のプロレタリア文化運動が著しく政治的偏向をもったということが今でも一つの先入観になっており或は偏見となっている。そしてこれがプロレタリア文学運動誹謗の種子とされているけれども、この日本風な現象につ・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・プロレタリア文学を理解したと思っていたその理解がただしいものでないことこそ筆者をして「偏向に対して」という一項を書かしめているのである。「第二の自己批判」のところで、林の日本のブルジョア文学の発達に関する意見がとりあげられている。「日本・・・ 宮本百合子 「文学に関する感想」
・・・の右翼民主主義偏向はごまかしきれなくなって来た。プロレタリアと農民大衆の力に押されて「文戦」の内部に、イデオロギー的対立が起ったのは当然であった。 ところが、「文戦」はこれまで、親分子分風な封建的内部組織でやって来ている。つまり、親分=・・・ 宮本百合子 「文芸時評」
・・・何ぜならこれは、今迄用い適用されていた感覚が、その触発対象を客観的形式からより主観的形式へと変更させて来たからに他ならない。だが、そこに横たわった変化について、理論的形式をとってより明確な妥当性を与えなければならないとなると、これは少なから・・・ 横光利一 「新感覚論」
・・・軍では時日を変更することは出来ない。そこで、その日は栖方を除いたものだけで試験飛行を実行した。見ていると、大空から急降下爆撃で垂直に下って来た新飛行機は、栖方の眼前で、空中分解をし、ずぼりと海中へ突き込んだそのまま、尽く死んでしまった。・・・ 横光利一 「微笑」
・・・もしこの画が現在の描き方で行けるところまで行き切ったものとすれば、ここに画家の態度を変更する必要が示されているのである。これまでの日本画が欲しなかった所を欲し、これまでの日本画が好んだ所を捨てるという人が、竜子氏のほかにももう少し現われて来・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
出典:青空文庫