・・・ 目先の変更を必要としないほどに落ちついた大家は、自己の様式の内で何らか「新しい試み」をやる。主として画題選択の斬新であるが、時には珍しい形象の取り合わせ、あるいは人の意表にいづるごとき新しい図取りを試みる。しかしこれらの画家を動かして・・・ 和辻哲郎 「院展日本画所感」
・・・家康自身はかならずしも時代に逆行するつもりはなかったかもしれないが、彼の用いた羅山は明らかに保守的反動的な偏向によって日本人の自由な思索活動を妨げたのである。それが鎖国政策と時を同じくして起こったのであるから、日本人の思索活動にとっては、不・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・それはもう変更のできない事実である。たとえ「あの時」私が、いずれの行為をも自由に選び得たとしても、私の実行したのはただ一つであった。この一つのほかに事実はない。「あの時ああすれば」という感じは、この事実が必然でなかったと主張するにほかならな・・・ 和辻哲郎 「停車場で感じたこと」
・・・この計画は後に変更され、麹町の屋敷はたしか百坪ぐらいだったと思うが、しかしその後にも、大きい住宅に対する嫌悪の感情は続いていた。あるとき藤村は、相当の富豪の息子で、文筆の仕事に携わろうとしている人の住宅の噂をしたことがある。藤村はその住宅の・・・ 和辻哲郎 「藤村の個性」
・・・ もし初めからこの両者のいずれをも正しく味わい得る人があるとすれば、その人の眼は生来自由に度を変更し得る天才的な活眼である。誰でもがそういう活眼を持つというわけには行かない。通例は何らかの仕方で度の合わせ方を先人から習う。それを自覚的に・・・ 和辻哲郎 「能面の様式」
出典:青空文庫