・・・ 今度、放火したり、爆薬を投げたりしたものの中の大多数は日本人の社会主義者だと云う話がある。真ギはわからないが、若し日本の社会主義者が本所深川のように、逃場もないところの細民を、あれほど多数殺し家をやき、結局、軍備の有難さを思わせるよう・・・ 宮本百合子 「大正十二年九月一日よりの東京・横浜間大震火災についての記録」
・・・ 一日中で一番長い放課時間に、彼女はよく、校舎の後を抱えるようにしてこんもりと茂り、いつも青々としている小高い森へ入って行った。 そこから少し低くなっている彼方を見渡すと、白い小砂利を敷いた細道を越えた向うには、馬ごやしの厚い叢に縁・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
・・・東京帝大法科卒業の年に漂然とアメリカへ行ってしまった。熱心なホーリネス信者となって、多分明治三十九年の秋ごろ帰朝したが、間もなく中耳炎を患い手術後の経過思わしくなくて没した。父と性格は大変に異っていた。一本気な、やや暗い、劇しい気質であった・・・ 宮本百合子 「中條精一郎の「家信抄」まえがきおよび註」
・・・科学の発達が、益々大規模な戦争を可能にし、大規模になるということは益々罪のない穏和な人民の大量を殺戮することである事実に、深刻な現世紀の人類的悲劇を見るのは、戦争放火者たち以外のすべてのまともな人々の心情である。だからこそ世界の良心的な科学・・・ 宮本百合子 「「人間関係方面の成果」」
・・・殆どすべての学者、芸術家がマドリッド政府の側に在り、有名なセロの名手、私たちに馴染ふかいパブロ・カザルスが全財産を寄附したり、画家ピカソがスペイン美術をファシストの砲火から守るためにマドリッドのプラド美術館館長に任命されたりしているというこ・・・ 宮本百合子 「文芸時評」
・・・ けれども、徳川の封建的権力がくずれかかった幕末に、日本中に横行した悪浪人の暴状と、相互的な暗殺、放火、略奪に疲れていた町人、百姓、即ちおとなしい人民階級は、ともかく全国的に統一した政権の確立したことに安心した。士族の町人、百姓に対する・・・ 宮本百合子 「平和への荷役」
・・・ツァーの砲火の下に罪なく無智な労働者、女、子供の血が雪を染める間、ゴーリキイは大衆に混ってこの歴史的殺戮の証人となった。戦慄すべき記録「一月九日」はかくて書かれた。引きつづいてロシアの各地に勃発した人民殺戮に対する抗議のストライキの間、ゴー・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの人及び芸術」
・・・その土地の富農たちの恐ろしい悪計によって、革命的であった農民イゾートはヴォルガ河のボートの中で頭をわられて殺され、ゴーリキイたちの店は放火され、そのどさくさにゴーリキイやロマーシももうすこしのところで殺されかけた。流刑地でのいろいろの危急の・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの人及び芸術」
・・・岡本かの子さんは、近頃一貫してああいう感情表現をしていられるが、村や店先から出て行って砲火の下にいる、前線の兵士たちがあの文章をよんで何を感じ、何を理解し得るでしょうか。兵士たちは、ごく普通の市民の一人一人であり、なみの人間であり、而もそれ・・・ 宮本百合子 「身ぶりならぬ慰めを」
・・・第二次世界大戦はこういう手順でナチスによって放火された。 その前後のことだった。わたしは、たぶん『新女苑』であったかに、一人のフランス女学生の手記がのっているのを読んだ。いま、その名を思い出すことのできない若いソルボンヌ大学の女学生は、・・・ 宮本百合子 「私の信条」
出典:青空文庫